2012年09月30日

写真集「昭和の記憶」

9月7日から26日まで、東京ミッドタウンのFUJIFILM SQUAREで、「昭和の記憶」という写真展が開催された。

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八人の写真家が、激動の昭和という時代(昭和7年〜昭和44年)をそれぞれの視点で切り撮った写真が、次のテーマに沿って展示されていた。

1.モダン東京と下町
2.戦時下の東京
3.廃墟からの出発
4.復興する街
5.もはや戦後ではない
6.子どもが沢山いたころ
7.政治の時代
8.所得倍増計画
9.いざなぎ景気

〔写真家〕
木村伊兵衛
土門 拳
濱谷 浩
林 忠彦
薗部 澄
長野重一
田沼武能
熊切圭介

それらの写真には、歴史に名を残した人物は登場しない。皆、市井の人々の日常風景を写した写真ばかりだ。それらは、たしかに同時代を生きていた人たちにとっては、変哲のない平凡な光景だったに違いない。復興・繁栄の先の先ばかりを見ていた人たちが…そういう時代だったから仕方がないのだけれど…足を止めて見るようなドラマチックな光景ではない。

しかし、戦後六十数年経った今、それらの古い写真は、新たな輝きを放って見る者の心をとらえる。かつて、同時代の人々が足を止めて見ようともしなかったありふれた光景、今、その写真の前で足を止め、食い入るように見入る人の姿が、写真展の会場に数多くあった。

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すでに写真展は終了してしまったが、その時に展示された写真が、写真集としてまとめられている。

【昭和の記憶 写真家が捉えた東京】

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発行日:2012年9月20日
発行所:株式会社クレヴィス
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2012年08月30日

90歳の写真家

写真塾の先生は、めでたくも傘寿をお迎えになったそうだ。長寿を祝すると共に、写真の腕前では難しいが、せめて年齢ぐらいは並びたいものだと思っている。ところが上には上があるもので、90歳を超えてもなおカメラを構えている写真家もいるのだ。報道写真家の福島菊次郎氏である。

銀座シネパトスで上映されている「ニッポンの嘘」は、その菊次郎氏を追いかけたドキュメンタリーだ。映画は主として菊次郎氏へのインタビューと、それに挟み込まれる菊次郎氏撮影の写真で構成されている。

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写真のことはさておけば、まずは、そのすさまじい生き方に圧倒される。パンフレットに載っている年譜から、一部を抜粋・要約しておくことにする。

1921:山口県生。
1946:初めてヒロシマを撮影。
1951:ヒロシマの被爆者を撮影。以後、10年以上に亘る。
1961:写真集【ピカドン ある原爆被災者の記録】
1969:写真集【ガス弾の谷間からの報告】(学生運動に取材)
1970:写真集【迫る危機:自衛隊と兵器産業を告発する】。暴漢に襲われ負傷、不審火による家の火事。
1977:写真集【戦場からの報告 三里塚・終わりなきたたかい】
1978:写真集【原爆と人間の記録】
1980:写真集【公害日本列島】、写真集【戦後の若者たち 叛逆の現場検証】
1981:写真集【天皇の親衛隊】、写真集【戦後の若者たちPart2 リブとふうてん】
1982:瀬戸内海の無人島で自給自足の生活。
1987:胃がん宣告。
1988:胃がん手術。
1989:写真集【瀬戸内離島物語】
2003:『写らなかった戦後 ヒロシマの嘘』
2005:『写らなかった戦後2 菊次郎の海』
2006:写真集【鶴のくる村】
2010:『写らなかった戦後3 殺すな、殺されるな』
2011:フクシマを撮影。

これまでの生涯を貫く強靱な反骨精神は、何によって支えられているのだろう。それは、凡人には理解の及ばないところにあるに違いない。しかし、一つだけ想像することを許していただけば、それは、写真集【ピカドン ある原爆被災者の記録】の被爆者「中村さん」の無念さをはらしたい、という強烈な思いなのかも知れない。映画の中村さんの墓前での一場面、そこに映る号泣する写真家の姿を見ると、そんなふうにも思われてくる。
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2012年05月20日

第十二期神楽坂写真塾始まる

今年度は、何人かの塾生がそれぞれの事情で去り、新たに四名の塾生を迎えた。塾長の大橋富夫先生のお元気な姿を拝見すれば、こちらも新たな意欲がわいてくる。講師の北田英治先生も出席されて、第一回目の講座「天体を撮る」がスタートした。

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二日後に金環日食があることから、撮影するうえでの注意点などを、プロジェクターを使って具体的に分かりやすく示していただいた。

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その後、ビルの屋上に出て撮影実習を行った。そして、神楽坂の町を撮影しながら散策したあとは、懇親会へと続いていったのだった。

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横寺町では、バラの花が、今年はひときわ色鮮やかに咲いていた。
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神楽坂のネコは、首輪までしゃれている。
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2012年05月16日

カメラ用LEDライト

光量が足りない暗所で撮影するためには、絞りを開き、シャッタースピードを遅くして、感度(ISO値)を上げる、それでもダメならフラッシュをたくことになる。ただ、フラッシュは、被写体を大光量で一瞬だけ照らし出すため、どうしても不自然な感じになってしまう。

そこで、「カメラ用LEDライト」なるものを使ってみることにした。
光源:LED56個
電源:単三電池3本
カメラのホットシューに取り付け、明るさは無段階で調節できる。

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ネコの夜間撮影用として使ってみようと思っているのだが、ライトの光を当てた時、ネコが怖がって逃げ出す可能性があるので、まずは慣れているポン太で試してみようと思っている。

とりあえず手近なもので試し撮りしてみたものを、以下に載せておく。ともに、左側がライト未使用、右側がライトを使用して撮影したものだ。

〔例1〕
絞り:f4.0
シャッタースピード:1/60秒
ISO:800

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〔例2〕
絞り:f4.7
シャッタースピード:1/20秒
ISO:800

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2012年05月13日

有地訓写真展「BATANES」の続編「UYUGAN」

東京都写真美術館からの帰途、ちょっと寄り道をしてネコのポン太の顔を見て、それから神楽坂アユミギャラリーへ向かった。有地さんは、先日、写真展を催したばかりだというのに、もうその続編の写真展を開いたのだ。

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当方も出品して、塾生十数人が参加したグループ展でさえも、その準備に多大なエネルギーを要した。まして個展となれば、想像を絶するエネルギーが必要となる。有地さんの前回の写真展の準備の日にうかがって、そのことを実感した。常人では、なかなかこういう芸当はできない。

今回の写真展「UYUGAN」は、前回の続編で、同じくフィリッピンの最北端の州「バタネス(Batanes)」を訪れた際、その州を構成する島の一つであるバタン島のオユガン(Uyugan)という村で撮影した写真が中心となっている。


(ツイッターより)

撮影地であるフィリピンのバタネス州については、以下の説明が分かりやすい。

『バタネス州はフィリピン最北の州であり、マニラより約860km、カガヤン州アパリより約280kmに位置する。台湾までは約190kmとルソン島よりも近い。面積209.3km2、人口約16,000人でともに国内最小の州である。州本島のバタン島(Batan Is.)、州最大の島イトバヤット島(Itbayat Is.)、サブタン島(Sabtang Is.)、その他の島々を含めたバタン諸島からなっている。州都はバタン島バスコ(Basco)、人口は約6,000人である。』

出典:Higuchi's Room
http://www2b.biglobe.ne.jp/~mbx/philippines_tourism_batanes.html

展示されている作品の中で、特に心を奪われたのは、村に暮らす子供たちの屈託のない表情と、動物たちのおだやかなまなざしだった。今の日本では、子供たちに向かってカメラを構えるのもはばかられるが、写真の中の子供たちの人なつこそうな表情を見れば、オユガン村では、きっとそんなことはなかったのだろうと容易に想像がつく。もちろんそれは、撮影者の人柄によるところが大であることは、ことわるまでもない。

上記「Higuchi's Room」に記載されているバタネスへの行き方を見ると、おいそれと訪れることのできる場所ではなさそうだ。しかし、今、アユミギャラリーに行けば、バタン島オユガン村の子供たち、そして動物たちに会うことができるのだ。きっと、心いやされるひと時を、過ごすことができることだろう。

有地訓写真展「UYUGAN」は、5月16日(水)まで。

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2012年05月12日

二度目のドアノー展

生誕100年記念写真展「ロベール・ドアノー」は、5月13日が最終日、今回の写真展が終われば、当分開かれることはないだろう、そう思って、昨日、再度写真美術館に赴いた。展示されている写真を、一点一点丁寧に見直すことはもちろんのこと、それに加えて今回は、展示会場全体に目を向けて、展示の仕方にも着目してみることにした。

それというのも、先日行われた写真塾展に作品を出品して、展示の仕方に多少興味を抱いたからだ。展示された作品をを観てまわるとき、普通はもっぱら作品を観ることに意識を集中しているから、展示の仕方までに注意を払うことはあまりない。ところが、作品展示の仕方を自分で考えるという経験をしてみると、意外とそれが気になってくるのだ。

まずは、観てまわる順序だ。ドアノー展では、受付の人に右側(反時計回り)からご覧くださいと言われた。右端にはコンタクトシートが三葉ばかりが展示され、最初の解説版が続く。そして以下、「パリ郊外〜城壁の外側」を写した写真が並んでゆく。撮影された年代はまちまちで、最初期の一枚は、1929年の「舗石の山」、もっとも新しいものが、1952年の「ナンテール」…壁に松葉杖を立て掛けて、座っている男性を写した写真だ。

言われた通りに右端から左回り(反時計回り)で観ていくと、たまに左側から来る人がいる。相手がこちらをよけてくれるのか、それとも自分の方が進路を開けた方がいいのか、そういったことに余計な神経を使わなければならなくなる。どうして逆方向で回るのかといぶかしく思うが、受付の人が言い忘れたのかもしれず、仕方がないとあきらめる。

本来、回る向きというものは、何を根拠に決められるものだろうか。反対回りの人と出くわすと、そんなことまで気になり始める。実は、反時計回りで回っていると、なんとなく違和感のようなものを感じていたのだ。書籍の場合なら、縦組みの本は右から、横組みの本は左側から開く。そういう本の開き方が身に染み込んでいるからなのか、洋書が横組みであるのと同様に、フランスの写真家ドアノーの作品も、左側から時計回りに観てまわる方が違和感がないように思われる。

さて、作品展示は左に向かって、「冬の時代〜占領からパリ解放まで」に移り、以下、「郊外の休日」、「パリ〜イメージの釣り人」へと続いてゆく。この時期の作品が一番多い。以下は、次のようになる。
 『ヴォーグ』の時代
 ポートレイト
 ロベール・ドアノーとカラー
 子供たち
 変貌するパリ
このように、作品配列の区分けは、撮影場所と撮影年代、さらにテーマをを組み合わせて行われている。

みな魅力に満ちた写真ばかりであるが、その中でも特に子供たちを撮った写真は、なんど観てもあきることはない。たとえば、「牛乳を買いに行く子供たち」、「初めての先生、パリ」、「増水した側溝」など、子供たちの愛くるしい仕草と、そういう子供たちに注がれるドアノーの優しいまなざしとが想像されてくる。

展示会場の入り口に立って、ひとたび前方を見渡すと、まるでパリの街中に身を置いたような錯覚に陥る。見えるのは、ドアノーの写真の中から、子供たちが写っている部分だけを切り取り拡大して、厚めのパーティションの側面に張ってある光景だ。パーティションは少しずつずらして中央の空間に設置してあるから、入り口方向から視線を注げば、それらすべてを一目で見ることができる。ドアノーが撮ったあのあいらしい子供たちがいたパリの街角を歩いている、そんな気分に誘ってくれるという趣向なのだ。

写真家がとらえた世界を、鑑賞者が擬似的に共有するしながら作品を観る、そういったことが可能となる空間を提供することも、展示方法を考える上で大切なことなのだ。

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2012年04月25日

写真塾写真展終了

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神楽坂写真塾写真展は本日で終了しました。おいでいただいた皆さま、ありがとうございました。

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2012年04月23日

大橋先生のスピーチ

先週の金曜日から始まった神楽坂写真塾の写真展は、早いもので、水曜日までの二日を残すのみとなった。土曜日には、オープニングパーティが行われ、神楽坂を少しぶらぶらした後、六時頃アユミギャラリーに着いた時には、会場内は人で埋め尽くされ、中に入るには、満員電車のように入り口付近の人を押し込むようにしなければならなかった。

今回は写真塾の写真展だから、当然のことながら大橋富夫塾長のスピーチがあって、いつも通りの名調子を拝聴した。塾生の身で、大橋先生の写真について語るのは余りにもおこがましいが、先生のお話ぶりについて触れる位のことは、許していただけることだろう。

講義の際は別にして、今までに何回ともなく、大橋先生のお話をうかがう機会があった。近くは、早稲田スコットホールギャラリーの北田英治写真展、アユミギャラリーの有地訓写真展、さらに遡って3年前、神楽坂写真塾に入塾してから何度となくお聞きする機会に恵まれた。

どんな会合にもスピーチはつきものではあるが、スピーチほど難しいものはない、そんなふうにもよく言われる。型に従って話せば堅苦しくなり、かといってくだけすぎては座がしらけてしまう。

当方も仕事を持っていたころは、やむを得ずそういう場に立ったことはあるが、今は金輪際したいとは思わない。そういう私だからなおさら、大橋先生がいやな素振りも見せずそういう場に立たれることに、尊崇の念に近いものを覚えるのであろう。

大橋先生のお話は、あちらこちらに話題が飛ぶ。あらかじめ話す内容をきっちりと固め、構成を組み立てているとはとうてい思われない。その場に立って、思い浮かぶままに話しているのかもしれないとも思ってしまう。ところが不思議なことに、言葉が風のように体を通り過ぎていったあとには、しみじみとした気分になり、ある種のまとまりのあるお話だったなという印象が残る。土曜日のオープニングパーティの際、そんなことを近くにいた北田さんに話したところ、「写真のことが軸になっているからだよ」とおっしゃっていた。

たしかにその通りなのだ。その時のスピーチで、大橋先生が熱を込めて話されていたことは、写真の本質に関わることだった。それを文字に書き留めたものが、鈴木喜一さんのブログ「大地の家」に再録されているので、そこから引用させていただくことにする。

『写真は時のある一瞬を切り取って静止させているものだが、その反面、時とともに生き続け、まるで生きているかのように年を重ねているものでもあるのだ。』
http://daichinoie.blog6.fc2.com/blog-entry-7381.html
 
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2012年04月19日

明日から写真展

神楽坂のアユミギャラリーにて、明日から「第11期 神楽坂写真塾 写真展」が開催される。会場を飾るのは、塾生18名の写真と、塾長の大橋富夫先生、そして講師の北田英治先生の作品、当方も微力ながら展示作業を手伝った。

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2012年04月06日

北田英治写真展「ベーハ小屋」始まる

昨日(3月5日)から、北田英治写真展「ベーハ小屋」が始まった。初日の昨日、写真展が行われている「早稲田スコットホールギャラリー」に足を運び、久しぶりで北田英治さんとも会ってきた。2月の、横浜での工場見学ナイトクルージング以来のことだ。と思ったが、記憶をたどってみると、アユミギャラリーでひらかれた有地訓写真展のオープニングパーティー以来のことだった。

早稲田スコットホールギャラリーは、大正期の煉瓦をそのまま展示壁面としているため、通常の展示会場とは違った面を持っている。重厚な雰囲気を醸し出す煉瓦壁面の使い方次第では、作品がその空間に埋没してしまい、印象が薄くなってしまうのではないかという危惧を感じさせる。

また展示会場の真ん中にぽっかり空いた広いスペースは、ゆったりとした居心地の良さを感じさせるが、特に小型の展示物の場合は、作品が持つ訴えかける力を、脆弱なものにしてしまうかもしれない。

【早稲田スコットホールギャラリー】
http://www.hoshien.or.jp/gallery/index.html

マイナスの方向へと働いてしまうかもしれない面を、プラスの方向へと向かわせるためには、何らかの工夫をしなければならない。今回の写真展では、そういった面を十分踏まえて、準備がなされてきたのだろう。展示会場に一歩足を踏み入れた時から、そんなふうに思ったのだった。

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【北田英治写真展「ベーハ小屋」】
期日:2012年4月5日(木)〜4月10日(火)
開館時間:12:00〜19:00
※日曜日、祝日、最終日は18:00まで

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閉館後は高田馬場に出て、そこを地元とする写真塾のYさんの案内で、とある居酒屋にて祝賀会、そして写真談義に華を咲かせている内に、周囲は若い人たちで埋めつくされていた。4月1日に入学式を終えた、近くの大学の学生たちなのだろう。今はちょうどサークルへの勧誘時期、歓迎コンパで集まっていたのかもしれない。

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2012年02月21日

有地訓写真展は明日まで

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展示の仕方か変わったということを聞きつけて、またアユミギャラリーに行ってみました。この展示の仕方が、最初の計画に沿った形なのだそうです。
なお写真展は、いよいよ明日をもって最終日を迎えます。
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2012年02月17日

有地訓写真展【BATANES】の侃々諤々

今日から、有地訓さんの写真展【BATANES】が始まった。フランス語講座の帰途、ちょっと気になることがあったので、昨日に引き続き、写真展会場のアユミギャラリーに足を運んでみた。

ちょっと気になったのは、写真展示の仕方なのだった。昨日、設営が終盤にさしかかったころ、会場を訪れた何人かの人の間で、展示の仕方について賛否両論の議論の嵐がわき起こった。

ある人曰く、
「写真を床においたのでは、せっかくのいい写真なのに、写真がかわいそうだ」と。またある人曰く、
「今までにない展示の仕方で、とてもおもしろい」
と。こんな具合に侃々諤々の意見が、ギャラリー内を飛び交ったのだ。

しばらくして、戸惑いの空気を私たちに残したまま、喧噪は去っていった。夜もだいぶ更け、いつしか外は雪に変わっていた。とりあえずそのままの状態で明日の初日を迎えることにして、家路についた。

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そして今日、いつもの金曜日のように、公園にも立ち寄ったため少し遅くなり、午後5時頃ギャラリーに着いた。

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展示の仕方はそのままだった。床には地面を写した写真が並べられ、バシー海峡に浮かぶ小さな島々、バタネスを旅した時に撮ったという額装写真が40点、額の底辺を床に置き、そのままの状態で壁に立てかけてあった。

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来場者の数が少ない時は、イスに座ってじっくり写真を見ることができる。イスに座った時の視線の高さが、床に置いた写真を見るにはとても適している。また、写真に取り囲まれている感じがして、ゆったりとした時間が流れるバタネスの暮らしの中に、あたかも身を置いているような印象さえ受ける。写真展の展示方法の定石を外すことで、今までにないような効果を生んでいると思うのだが…一度ご覧になって、そのあたりのことを、体感してみるのもいいのではないだろうか。

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2012年02月16日

有地訓写真展会場「アユミギャラリー」

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アユミギャラリーの展示会場は、かなり独創的な空間に仕上がりつつあります。必見の価値ありです。どうぞ足をお運びください。
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明日より有地訓写真展「BATANES」

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写真展、ただ今準備中。
展示点数が多いから、額装だけでもかなり大変そうです。

【有地訓写真展 「BATANES」】
 
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2012年02月13日

工場夜景ツアー(2)…動画あり

乗船した船は「サンタ・バルカ号」、もちろんれっきとした日本の船なのだが、船名だけ見れば、イタリ国籍の船ではないかと思わせる。イタリアの船ならば…そう思うと、沈没した豪華客船のあの船長を思い出す。そのイタリア人船長は、沈みゆく船に乗客を残したまま、真っ先に逃げ出したというではないか。

きらびやかな「みなとみらい」のイルミネーションを後にして、徐々にスピードを上げていく船から暗い海を見ていると、不吉なことを考えてしまうもののようだ。しかし、ここは日本の海、船長さんはお見受けするところ人柄もよさそうで、仮に沈没したとしても、真っ先に逃げ出すことはないであろう。

防寒着を幾重にも着込み、手袋をはめ、耳まで隠れる防寒帽をかぶっていても、冬の海の凍てつく風は、容赦なく体の芯に突き刺さる。横浜の夜景をかなり遠くに見るようになった頃、このままでは風邪を引き込んでしまうように思われ、暖房の効いた船内に逃げ込んだ。そこならば、窓を開ければ撮影もできるし、寒くなれば窓を閉めればよいのである。

船室の両側にドアが設けられていて、そこから船のヘリ伝いに船首に出て行くことができる。船が速度を落とし、
「しばらく船を止めておきますから、ご希望の方は船首に出て眺めてみてください」
というアナウンスがあった。暗い海に、ドブンと落ちるかもしれず、そんな危険を冒す人は、よもや居まいと思っていた。速度がかなり落ちてくると、近くにいた船員さんが、ドアを開けた。
「出てみませんか」
誰に向かって言っているのだろうかと周囲を見回しても、そこにいる寒がりは一人だけだった。私向かって言っているのだ。試みにドアから顔を出して、船首の方を見やってみた。一人がやっと通れるほどの狭い通路が、船首へと続いていた。船の側面には、細い金属制の手すりがついている。足もとの暗い海を見るのがいやな人は、それにつかまって、カニ歩きで進んで行くということになる。

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それを見るなり、寒がりであると同時に、高所恐怖症でもある私にはとうてい無理だなと思いなした。ところが、くだんの船員さんが、
「今まで、落ちた人はいませんから、大丈夫ですよ」
と言えば、船長さんは、
「物は落とさないようにしてください。人間は落ちても助けられますが、物は落ちたら拾えませんから、十分注意してください」
と、人間は仮に落ちたとしても、物と違ってすぐ助けられる、と気休めを言う。そこまで言われたら、出ないわけにはいかない。船が完全に止まってから、ドアをくぐったのだった。

船首に行くのは、いわば断崖絶壁を壁伝いに進むようなもので、もし足を踏み外せば、千尋の谷ならぬ漆黒の海に、真っ逆さまに落ちて行くかもしれないのだ。頭の中では、そんな妄想が渦巻いていたが、いざ足を踏み出してみると、意外なことにあまり恐怖を感じることはなかった。

◆動画「工場夜景ツアー」
長さ:約18分
ファイル形式:WMV

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2012年02月09日

夕食は中華街で

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はるばる来たものだ横浜

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2012年02月01日

写真集「木村伊兵衛のパリ」

木村伊兵衛の写真集「木村伊兵衛のパリ」は、先日、某テレビ局の「日曜美術館」で取り上げられてからというもの、ネット書店・町の本屋さんからすっかりその姿を消してしまった。番組放映後、注文が殺到して、品切れになってしまったと思われる。

「木村伊兵衛のパリ」
出版社:朝日新聞出版
定価:14700円(税込)
発売日:2006年7月14日
A4変判上製 288ページ


木村伊兵衛は1954年から55年にかけて、まだ発展途上のカラーフィルムを携えて、二度パリを訪れている。その際、アンリ・カルティエ=ブレッソンと会い、そして、パリを熟知していたはずのロベール・ドアノーに、パリの街を案内してもらったという。この写真集には、その時に撮影した170点の写真がおさめられている。

以前、この写真集を購入したいと思ってネット書店で探した時には、まだ品切れにはなっていなかった。ただ、価格が14700円では、おいそれと手を出すことができず、断念して図書館で借りて見た。

その高価な写真集が、品切れになってしまったということだから、世の中にはお金持ちの人がたくさんいるということなのだろう。かく言う当方は、お金持ちではないけれど、写真の世界に片足の親指ほどは踏み込んでいるのだから、清水の舞台から飛び降りるぐらいの覚悟で、購入しようかと思っていたのだが、品切れではどうしようもない。

ただ、売れ行き好調だから、そのうち第二版が出るかもしれないと思っていたところ、本当にそうなった。二月下旬に、重版が出ることになったらしい。ネット書店などでも、予約を受け付け始めている。
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2011年11月27日

日帰りの撮影ツアー

参加者は15人、そしてツアーコンダクターと写真家の先生、さらにドライバーを加えると、一行の人数は合計15人だった。バスは乗車定員40人以上の大型車で、一人が2座席を利用できるという快適さ、車内では、初心者向けの講習が1時間ほどあり、今回の内容は露出に関することだった。

塩山から望む富士山

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【恵林寺】

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安禅必ずしも山水を須いず
心頭を滅却すれば火も自ら涼し


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境内で紅葉を撮っているとき、同じく紅葉を撮っていたおばさんに、
「カメラマンさんですか?」
と尋ねられた。せっかくそう思ってくれたのだから、
「そうですよ」
と答えた方が礼儀にかなっているような気もしたが、正直に答えておいた。

群馬県からツアーで来たと言っていた。5時起きで、もう疲れたとも言っていた。

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【岩波農園】

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あんぽ柿は、一つ500円もする。高いなーと思っていたところ、皮むきをしていたおばさんが、
「東京で買えば、倍はするよ」
と言っていた。

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【甘草屋敷】

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甘草屋敷は、JR塩山駅のすぐ近くにある。

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2011年11月24日

塩山ころ柿の里

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撮影ツアー

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談合坂、10:30着
リニューアルオープン
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2011年03月10日

ドアノー写真集「パリ遊歩」

恵比寿駅の改札口を出て、動く歩道を乗り継いで、恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館に向かう右手に、ロベール・ドアノーの代表作となった写真「市役所前のキス」が、大きく引き伸ばされて壁面を飾っている。

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例えば文学の世界で、芥川賞を受賞した作品が、その作家を語るときに必ず持ち出されてしまうように、ドアノーについて語るとき、きまりごとのように「市役所前のキス」が持ち出されてしまう。作家にとっても、写真家にとっても不幸なこととなのだろう。ドアノーの場合、「パリ遊歩」という大部の写真集をみると、その感を強くする。

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ドアノーは、生活の糧となる写真を発表しながら、パリの街を来る日も来る日も歩きまわり、ありふれた人々のありふれた日常の瞬間を、切り撮り続けた。彼の眼差しによって切り撮られた瞬間は、ありふれた日常の一場面であっても、その写真をみる者の心にさまさまな感慨を引き起こす。試みに「パリ遊歩」のどこかのページを、当てずっぽうで開いてみるがよい、そのページの一枚の写真をみるだけで納得できるにちがいない。

【ドアノー写真集 パリ遊歩 1932-1982】
写真:ロベール・ドアノー
解説:ブリジット・オリエ
飜訳:中原道郎
発行:岩波書店、1998年1月27日

[目次]
 大戦中のパリ
 パリの往来
 働くパリ
 レ・アル(旧中央市場)
 パリの市場
 日曜日
 セーヌのほとり
 飾り窓 アーケード
 歩き慣れたパリ
 パリの郊外

解説は巻末に載るものだと思っていたが、「パリ遊歩」では巻頭に、「パリの周りを,忍び足で」という解説文が載っている。しかし写真集であるのに、まず解説文から読ませようとするのはなぜなのだろうか。そういう習慣があるのかもしれないが、その解説文がチンプンカンプンの悪文では、なおさら本末転倒の誹りは免れられない。これは原文が悪いのだろうか、それとも訳文が悪いのだろうか、はたまた両方が悪いのだろうか。
 
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2010年12月19日

大橋先生の手

身辺雑記のブログを書いていると、どこまで書き込んでいいものかと迷うことがままある。たとえば仲間うちで作っている同人雑誌のようなものにでも載せるのであれば、書かれたことがひろがっていく範囲は、たかがしれている。ところが現代のネット社会では、ウェブに載せるやいなや、あっという間に全世界に伝播してしまう。そういうことを思うと、書くことにも慎重にならざるを得ない。

たしかにいろいろな人と忌憚なく話をしていると、おもしろい話だから他の人にも教えてあげたいものだ、書き残しておきたいものだ、と思うことがある。しかし、限られた人だけが参加している場だからこそ聞くことができた話かもしれず、そういう場であったことを、多くの人たちに向けて発信することについては、やはり慎重になる必要がある。だから、どうしても具体性に欠けてしまうことにもなる。

昨日は、写真塾の今年最後の講座があった。終了後は居酒屋「竹ちゃん」で、お疲れさん会があった。その会には、先日アユミギャラーで、写真塾講師の北田英治さんと共に作品展を行った陶芸家の今成誠一さんも加わり、いろいろなお話をうかがわせていただいた。

北田さんがタイで撮影した時に体験した話などは、謎めいた部分があって、とても興味が惹かれた。今成さんからは、アユミギャラリーの作品展に続き、年末に作品展に参加するというお話をうかがった。その作品展に関しては、ページをあらためて開催情報を載せておくことにする。

こちらは写真塾に入ってからまだ2年目、塾長の大橋先生は、写真家として50年以上のキャリアを有する。その先生と畏れ多くも握手しようなどとはこちらから思いつくはずもない。ところが思いがけなくも、店を出て神楽坂の交差点でサヨナラの挨拶をする際、自然な流れの中で握手させていただくことになった。

この一年間の謝意を言いつつ握手をすると、大橋先生の手はとても大きく感じられ、思わず、
「先生の手は大きいですねェ」
と言ったところ、先生は、
「いや、あなたの方が大きいでしょう」
と否定され、それでは手を合わせて比べてみましょうということになった。「大きいですねェ」と言った手前、こちらの手が大きくては困るので、手のひらを少し下にずらして合わせたところ、先生の手の方が指関節一つ分ほど長かった。しかし、こちらがズルしたことを鋭く見抜き、もう一度きちんと手を合わせて比べ直してみることになった。その結果、ほぼ同じ大きさだった。

最初の印象と違う結果となってしまった。しかし、こんなふうに考えてみることはできないだろうか。身長ではこちらの方がはるかに高い。だからその比率を手に当てはめれば、当然こちらの方が大きくてしかるべきなのだが、事実はそうではなかった。ということは、大橋先生は体の大きさに比して、手は大きいということなのだ。やはり握手したときはの印象は、正しかったのだ。

どうしてこんなに手にこだわるのかというと、カメラのシャッターを50年以上押し続けていれば、当然その営為が手に反映されているに違いないと思ってのことなのだ。大橋先生は、師の土門拳から「職人は手を撮れ」と教えられたそうだ。職人と写真家とは違うかもしれないかもしれないが、長年に亘って携わった仕事が、その仕事にふさわしい手を形作るという点では同じであろう。

「そのうち先生の手を撮らせていただけませんか」
「自分で、左手を撮ったことはあります」
その左手の写真は、見せていただいたことがあった。しかし左手ではないのだ。シャッターボタンを押し続けた右手なのだ。残念ながら話はそこで終わってしまい、右手を撮らせていただく約束を結ぶことはではできなかった。

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2010年12月12日

ふたたび受講生写真展へ

金曜日のフランス語講座が終了してから、受講生写真展に顔を出したのは、もちろん今年の受講生の作品を見るためでもあったが、もう一つ昨年お世話になった写真の先生にお会いしたいということもあった。

昨年の写真展最後の日、先生がカメラを構えているところを失礼を顧みず撮ったところ、自画自賛になるのでちょっと気が引けるけれど、ためらわずに言ってしまえば、すばらしい出来映えの写真になったのだ。今年の写真教室の授業が終わる頃を見はからって出向き、先生にその写真をお渡しようと思っていたのだが、なかなか実行に移せず、のびのびになってしまっていた。

ヒョッとして会場にいらっしゃるかもしれないと期待していたのだか、残念ながらいらっしゃらなかった。昨日の土曜日は、写真塾の塾生も参加できる講座を聴講する予定があって、それが夕方からの開始なので、その前にもう一度写真展に出向いてみた。写真展の最終日には、出品作品のひとつひとつに先生が講評するならいになっていたから、その時間までには必ず会場に顔を出されるに違いないと踏ふんでいたのだ。そして予想通りの結果となった。

「つたない写真ですが」
と言って手渡すと、
「おーおッ」
という声をあげて破顔一笑、そういう反応の仕方も去年何回か目にしたものだった。とにもかくにも、これでやっと一年間気になっていたことの一つが片付いたのだった。

2010120007.jpg去年の写真展の会場の様子。
光の当たっているところに先生が座っていて、まるでスポットライトをあびているかのようだった。
posted by 里実福太朗 at 22:36| 写真

2010年11月18日

今成誠一「塊魚 vol.6」×北田英治「ベ−ハ小屋」

昨日は、旅の疲れがまだ出てこないのをよいことに、神楽坂のアユミギャラリーに行ってきた。写真塾でお世話になっている北田先生の写真、そして益子の陶芸家・今成誠一氏の力作を見るためだった。

去年の9月、まだ残暑きびしい折り、北田先生に案内されて、益子周辺にわずかに残るベーハ小屋(米葉小屋、タバコ葉の乾燥小屋)を撮ったり、さらに今成氏の「塵庵」を訪れ、実際に作陶している場面を撮影させていただいた。前々から機会があれば、まだまだ未熟なできばえではあるけれど、今成氏にその時撮影した写真をお渡ししたいという気持ちもあった。

「塊魚」とは聞き慣れない言葉だが、今成氏の作品群を一目見れば、自ずと意味するところは了解される。深海魚の形を模して作ることから始まり、後に心の中に湧き起こるイメージを造形するようになり、今の「塊魚」に行き着いたと今成氏は言う。深海に生まれた魚が陸に上がって、土くれの魚へと変貌して「塊魚」となったのである。

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その風貌からして「怪魚」と呼びたいところだが、やはりそれでは平凡すぎる。「塊魚」という名前は、常に土と接し、土に愛着を寄せる陶芸家ならではの、けだし絶妙なネーミングなのである。

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そういえば「塊魚」は、どことなく作者の風貌に似通っているようにも思われる…イヤ失礼、表現されているのは作者の外観ではなく、もちろん作者の内なる思いなのである。そういう意味で、「塊魚」は作者自身である、と言うことは許されるであろう。

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2010年09月23日

宮代町・進修館とコスプレ

身の丈に合った町政を目指している宮代町には、他の市町村には見られない独創的な施設がある。コミュニティセンターの進修館もその一つと言ってよいだろう。

 コミュニティーセンター「進修館」

この建物は、「象設計集団team ZOO」が設計して、日本建築家協会が主催する2008年度(第8回)JIA25年賞を受賞したそうだ。その賞の重みの程度は分からないが、大きく弧を描いた建物の全景は、多くの市町村に見られるコミセンとは一線を画した独特の景観を生み出していた。

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こういう環境がコスプレ愛好家の目に止まったのだろうか、撮影会のあった土曜日にはたくさんのコスプレイヤーが新修館に集まっていた。

お蕎麦屋さんを出てから、新修館の事務室に用事があるという先生の後について芝生広場に入ると、そこかしこにさまざまな衣装を身にまとったコスプレイヤーがいた。コスプレイヤーを撮っているのは、これまたコスプレイヤー、互いに写真を撮り合っているそうだ。

そういう間を通り抜けて行くのは、なにしろ人数が多い上に初めての経験だから、どうしても身構えてしまう。うっかりカメラを取り出そうものなら、すぐ主催者の係員がやって来るそうだから、カメラバックを吊している身ではなおさら気をつけなければならないという心境になる。

しかし先生は場数を踏んでいるとみえて、意に介さずズンズンと進んでいく。考えてみれば、ここはコミュニティセンターという公共の施設、一般の人が立ち入るのはいっこうに構わないはずだ。建物内にも、コスプレイヤーに対するこんな注意書きがいろいろな場所に掲示してあった。

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主催者にいくばくかの金銭を支払えば、撮影することができるという話も聞いたが、写真塾の塾生の中にそれを希望する人はいなかった。「笠原小学校」や「新しい村」を訪ねたあと、再び新修館に戻ってきた時には、もうコスプレイヤーの姿はなかった。視線を新修館の芝生広場が尽きる先に向けると、コスプレを脱いだ若者たちが駅へと向かって行く姿が見えた。

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当日行われたコスプレ大会
〔COS-MIX! in 進修館〕

 会場:宮代町コミュニティーセンター「進修館」
 開催日時:2010年9月18日 10:00 〜 16:30
 
参加したコスプレイヤーの写真
 
 
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2010年09月22日

宮代町の蕎麦屋「一茶」

昼食をどこでとろうかと迷ったが、結局、東武動物公園駅に着いてから駅の周辺の店に入ることにした。ところが駅周辺には適当な店がない。駅前から南の方にブラブラ歩いて行くと、お蕎麦屋さんの看板が目に入った。

看板にはこう記されていた。

昔の味
純手打そば 一茶 宮代

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そういえば前回の講座で、講師の北田先生が今回の撮影会のことを説明した時に、このお蕎麦屋さんのことを言っていた。そのことを思い出すと、足は自ずと「一茶」に向かった。注文したのは天ざる、950円だった。ソバはかなり太く、蕎麦打ち体験で素人が切ったソバのように太さがまちまちだった。まあこれが、昔の味・純手打そばというものなんだろう。

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食べている途中で、講師の先生が店に入ってきた。写真塾の誰かとバッタリ会うかもしれないとは思っていたが、先生と顔を合わすことになろうとは予想していなかった。先生は何年かに亘って、ここ宮代町を撮影し続けているそうだ。宮代町に来た時は、いつも「一茶」の暖簾をくぐっていたのかもしれない。

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2010年09月20日

曳舟からスカイツリーを見る

今月の写真塾は東京を離れて、埼玉県宮代町に撮影場所を移して行われた。集合場所は東武伊勢崎線の東武動物公園駅、伊勢崎線の始発駅は東武浅草駅だが、佐倉地方からは京成押上線の押上駅での乗り換えが便利だ。押上駅からは急行に50分ほど乗れば東武動物公園駅に着く。

ただその日は、少し手前の京成曳舟駅で降りて、東武の曳舟駅まで歩いた。というのも、曳舟周辺から見える東京スカイツリーを撮っておこうと思ったからで、そのために家を少し早く出てきたのだった。

〔京成曳舟駅〕
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〔墨田区曳舟文化センターあたり〕
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〔東武線 曳舟駅〕
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〔曳舟駅ホームにて〕
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2010年09月02日

写真展「ELEMENTS」エレメンツ / 瞬間の元素

神楽坂のアユミギャラリーでは、昨日(2010-09-01)まで、英国の写真家・ALAN GOLDING氏の写真展が開かれていた。夜、ちょっとした会合の予定があったので、その前に足を運んでみることにした。

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http://www.ayumi-g.com/ex10/1030.html

引き戸を開けてギャラリーの中に足を踏み入れたとき、ゴールディング氏は南向きの出窓の前で、ノートパソコンの画面に見入っていた。日本語はどの程度話せるのだろうか、英語で挨拶した方がいいのだろうか、簡単に「hi」とでも言っておこうか、そんなことを考えていると、彼の方から、
「こんにちは」
ときれいな発音で声をかけてきた。

大小さまざまな写真は、さまざまな工夫を施され、展示スペースの隅から隅まで所狭しと並べられていた。展示されていた作品の何点かは、彼のホームページにも掲載されているものだった。作品傾向をつかむには、そのホームページにアップされている写真を見るのが一番手っ取り早いだろう。

http://www.alangoldingphotography.com/gallery.htm

彼がパソコンに見入っている席の背後にも、写真は展示されていた。順次見て回っていき、その場所に近づいた時、彼は何も言わずに席を立ちそこを離れていった。彼の無言の配慮のおかげで、すべての写真をじっくりと時間をかけて見終わることができた。

テーブルの上に、案内用のポストカードが積まれていた。もちろん無償で配布するためのものなのだろう。断りなしにいただいてもかまわないと思われたが、念のため声をかけておくことにした。
「これをいただけますか」
さきほどきれいな発音で「こんにちは」と言っのだから、日本語はある程度分かるのだろうと勝手に思い込んでいたが、彼は空中に視線を泳がせたまま固まっていた。どうやら日本語はほとんど分からないようだった。

困ったことになった。ポストカードをもらうためには、英語で何と言ったらよいのだろうか。ポストカードを左手で持ち、右手の人差し指で自分を指してみても、彼の理解の手助けにはならなかった。そこで、
「give me」
と言ってみたら、彼は大きく頷いた。そして、テーブルの上に無造作に置いてあった数葉のL判の写真を指さした。それも持っていっていいよ、ということのようだった。数葉の中から、海岸を歩く二人の女性が写っている写真を選び取って、いただくことにした。

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なんともありがたいことで、炎暑の中、足を運んだ甲斐がああったというものだ。
「ありがとうございました」
と礼をいうと、
「どういたしまして」
と、澄んだライトブルーの目をこちらに向けて、またきれいな発音で言葉を返したのだった。

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2010年08月31日

「スーザン・ソンタグ」を借りる

スーザン・ソンタグの名前を初めて耳にしたのは、写真塾の昨年度の講座に出席した時のことだった。講師の写真家・北田英治氏が、一冊の本を取り出して見せてくれた。氏が撮影した「スーザン・ソンタグ」の横顔が表紙になっている、「同じ時のなかで」」というハードカバーの単行本だった。

それ以来、スーザン・ソンタグが、「写真論」という著作も持つアメリカの著名な作家・評論家であることも分かってきたが、彼女の著作を読む機会はなかった。なんとなく敷居が高いような気がして、なかなか読んでみようという気にはならなかった。

地元の図書館の蔵書検索システムで必要な本を探している時、ふとソンタグのことが頭をよぎり、ためしに検索してみたところ、彼女の著作が収蔵されていることが分かり、2冊借りてきたのだった。

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「同じ時のなかで」の「訳者あとがき」(木幡和枝)には、次のように記されていた。

『北田英治氏には、ソンタグ最後の訪日時の建築見学ツアーに同行した際の写真を表紙カバーにご提供いただき、感謝する。』

「同じ時のなかで」
2009年9月発行
NTT出版

「良心の領界」
2004年3月発行
NTT出版
 
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2010年02月23日

額装の仕方

◆額装完成品

額縁サイズ:太子(たいし)
写真サイズ:撮影時のサイズ
     (アスペクト比…4:3)
印刷用紙サイズ:A4

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◆構成部品

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(右上から)
額縁
ガラス板(アクリル板)
マット
厚さ調整用紙(ダンボール)
裏ぶた

マット裏側
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あて紙を取り除くと、写真をとめるための「コーナー」が現れる。
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posted by 里実福太朗 at 22:48| 写真

2010年02月22日

写真塾の作品展

先週の土曜日、写真塾を運営するギャラリーに着いたのは、1時をすこしまわったころだった。ちょうど中庭に、塾のスタッフの青年がいたので、写真展に出品する写真をその場で手渡した。

3月の中旬頃、写真展がそのギャラリーで催される。公募展ということで、プロ・アマ問わず誰でも応募することができる。塾生も一年の締めくくりとして出品してもよいことになっていたので、ヨーロッパ旅行で撮ってきた写真を2点出品することにした。

作品を入れた紙袋を受け取った青年は、中の写真を確認して、
「これは、パリですか?」
と小生に尋ねたのだ。
「そうですヨ、よくわかりますネ」
パリの有名な広場から撮った写真だから、パリに行ったことのある人なら、分かる可能性は十分にある。分かったということは、そんな若い身空ですでにパリに行ったことがあるのだろうか、自分の若い時には、フランスに行くなどということは、思いもよらぬことだった、とうらやましく思っていると、さらにしゃくに障ることを言うのだ。
「一ヶ月くらい、パリにいましたので」
「ひと月も!…それじゃァ、毎日毎日写真を撮りまくっていたでしょうねェ」
「いえ、観光客が多くて、なかなか一眼レフをかまえることができなくて…カメラはホテルに置いといて、ケータイで撮りました」

観光客が多いと、一眼レフで撮れないだと? 小生が行った時はちょうどハロウィンのバカンスで、パリの街には、新宿とか吉祥寺なみに人があふれていた。それでも一眼レフを構えて、パチパチとたくさん撮ったぞ。そんなことを思い出してみると、青年の言ったことが今ひとつ飲み込めないのだった。

昨年末におこなった写真教室の作品展では、額装は事務担当者が業者に依頼してくれた。生徒は、作品だけを提出すればよかった。ところが今回は、展示のことで塾のスタッフに問い合わせたところ、マットは用意して下さいということだった。額装する必要はないということだけれど、そもそもマットとはなんぞや、写真用紙にマット紙という種類があるけれど、どうもそれではないようだ。ともかく分からないことだらけなのだ。そして、どうせ分からないことだらけならば、いっそのこと額装まで自分の手でしてみようと思い立ったのだった。

マットもない。もちろん展示用の額もない。そこで思いついたのが、写真教室の展示会終了後、手元に戻ってきた作品のことだった。そうだ、それを参考にすればよいのだ。さっそく、額装されたものを分解してみることにした。
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2010年02月21日

記念写真

久しぶりで早く起きたせいなのか、それとも昨夜写真塾の人たちとのお付き合いで、帰宅時間が少し遅くなったせいなのか、たぶんその両方なんでしょう、午前中は頭に霞が掛かったような状態で、オリンピック中継ばかり見ていた。

早起きといっても、世間の人にとっては平均的な起床時間なのかもしれないが、夫人をある場所に送り届けるために、目覚まし時計を7時にセットしておいた。かつて勤めていた頃を思い出せば、その時刻は通勤電車の中にいた。それが今は勤めていた頃の習慣がきれいサッパリ消え去って、いつの間にか新しい生活パターンに従って日常が過ぎ去っていく。

昨日の写真塾は、めずらしく開始時間が3時だった。O先生の写真を見せていただきながら、記念写真の撮り方に関するお話をうかがった。

少し大きめの三つのテーブルをつなぎ合わせ、その上にご自身の家族の記念写真などを数多く並べて話を始めようとしたが、「もっと近づいて見ましょう」とおっしゃるので、机一つを壁際に移動することになった。

机が二つになり写真を並べるスペースは狭くなったが、O先生との距離が縮まることで、心理的にも距離が近づいたような感じになったのだろう、O先生が一方的に話をするのではなく、塾生たちも気軽に感想などを言い合うことのできる雰囲気になった。

机の一つを取り除いたのは、写真をより近くで見るためにということのほかに、心理的な距離を縮めたいという意図が、O先生にあったのだろう。そのことは、記念写真を撮る場合にも通じることなんだろうな、そんなふうにO先生の話を聞きながら思ったのだった。
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2010年02月18日

日本カメラ博物館

今朝未明ごろからまた雪が降った。前回より積雪量は少なかった。それにしても、寒い日が続く。夜の天気予報では、来週は暖かくなると伝えていた。その予報が当たればうれしいけれど、またはずれてしまうかもしれないので、過度の期待はしないほうが良さそうだ。

昨日は薄日がすこしのぞいたのを見計らって、都心方面に出かけることにした。目的の場所は「日本カメラ博物館」、地下鉄半蔵門線の「半蔵門駅」から歩いて2〜3分のところにある。

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(地下1階にあります)

1939年、パリの科学アカデミーで、下院議員のアラゴという人物が、タゲールが発明したとされる「タゲレオタイプ・カメラ」について言及した。それまでにもさまざまな人が写真術を研究して、成果を収めた例もあるようだが、そのなか中でもタダゲールの写真術が最も優れていた。そしてこのカメラが世界最初のカメラとされ、1939年は写真術誕生の年と言われている。
 参照:写真の歴史
  …クエンティン・バジャック著
  …遠藤ゆかり訳
  …創元社、2003年8月

「日本カメラ博物館」では、パリで発売された世界最初のカメラ「タゲレオタイプ・カメラ」をはじめとして、記念碑的なカメラが年代順に展示されていた。ただ、陳列されているカメラの台数が多いわりには、会場が手狭で窮屈な感じがすることが残念だった。広さに余裕があれば、一台一台をもっと間隔を置いて配置することで、一つ一つをじっくり見て回ることができるに違いない。

「日本カメラ博物館」のすぐ隣に、日本カメラ財団が管理するJCIIビルがある。その一階にあるフォトサロンで、現在「−古写真に見る明治の東京−京橋区編」という写真展が開かれている。こちらは無料で見ることができる(博物館は300円)。

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2010年01月17日

神田神保町の撮影会

写真塾の撮影会は、神田神保町の古書街周辺で行われた。天気は良かったんだけれど、なにしろ寒かった。集合場所の岩波ビルの前には、30分ほど前に着いたが、陽の当たらない寒々とした場所で待っていたのでは、凍死してしまうかもしれない。そこでコーヒー店にでも入ろうかと少し歩くとドトールがあったので、すぐ店内に入って暖をとったのだった。

今回はO先生もいらっしゃったが、この寒さでは街歩きなどしない方がいいだろうなと思ったが、集合場所でスタッフからの説明があったあと、カメラを肩に掛けて街に出て行かれた。

再集合は3時間後、その間ずっとこの寒さの中に身を置き続けていたのでは身が持たない。途中、何回か暖かい場所に逃げ込むことにしようと考えていたのだが、歩き始めて撮影をしていると、なかなかそういう機会が訪れてこない。結局2時間ほどが経過して、アウトドア用のコートを着ていたのに、肩から背中にかけてびっしりと冷気が入り込み、これ以上外にいると風邪を引き込むおそれがもあり、撮影は断念して近くのコーヒー店に逃げ込んだのだった。

4時半に、岩波ビル前に再集合した時、O先生の発した第一声は、
「今度は、暖かいところでやろう」
だった。数名は戻ってこなかった。聞くところによると、3時間前ここで解散したあとすぐに、体を芯から温めてくれる飲料を求めて、どこかに行ってしまったそうだ。

ちょうど「神田雪ダルマフェアー」が行われていて、靖国通りの歩道に、大きな雪だるま(正確に言えばダルマではないけれど)が置かれていた。

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2010年01月10日

主役と脇役

昨年12月に行われた写真塾の講評会では、「主役と脇役」ということに関する話があった。「力のある写真」という言葉もその話の中に出てきたが、自己流に解釈してみれば、主役がはっきりしていて、その主役が見る者に強く迫ってくるような写真ということなのだろうか。

「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン展」の図録の表紙と裏表紙には、それぞれ木村伊兵衛が撮影したアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真、アンリ・カルティエ=ブレッソンが撮影した木村伊兵衛の写真が載っている。

前者は、写真中央にアンリ・カルティエ=ブレッソンが置かれ、今まさにカメラを構えようとしている彼が、唇の端を少し引きつらせたように持ち上げ、笑顔なのかどうなのか判然としない表情を浮かべた一瞬をとらえている。その写真を一目見た人は、主役がアンリ・カルティエ=ブレッソンであることを、たちどころに了解することだろう。

一方後者は、ところどころはげ落ちている家壁に梯子を立て掛け、そこにのぼって右に向かってカメラを構えている木村伊兵衛の姿を撮った写真である。長いコートを身につけて、革靴を履いたまま梯子の中段に足を掛けている彼の姿を見れば、高所恐怖症の人はそんなことまでして写真を撮りたくないと思い、そうでない人も、写真家は納得できる写真を撮るために、そういった苦労をものともしない人種なのだなと思い至ることだろう。そしてその写真でも、主役は木村伊兵衛であると思うに違いない。

第一印象ではそのように思うのだが、何回も見直しているうちに、疑問が生じてくる、ほんとうに主役は、木村伊兵衛なのだろうかと。梯子にのって被写体に眼を向けている彼は、写真の中央から右寄りにずれているからだ。右の方向に視線を向けている人物を画面の中に配置する場合は、中央より左側に置いて右側のスペースを広くとるのが定石なのだろう。そういう定石に反して、右側のスペースの方が狭いのだから、木村伊兵衛だけを見ていればアンバランスな画面構成と言わざるをえない。

木村伊兵衛の足の下、梯子のすぐ脇には、身をかがめた母親と小さな3人の子どもとが写っている。その母子4人と、梯子の上の木村伊兵衛とを含めて、5人全員をひとまとまりとして改めて画面構成をとらえ直してみると、実に見事にバランスがとれていることに気づくのだ。

こうなってくると、もはや木村伊兵衛が主役だとは言えなくなってくる。アンリ・カルティエ=ブレッソンは、彼一人を撮ったのではなく、彼を含めたその場の様子を撮ったのだと言った方がよいということなのだ。さらに、次のような点にまで言及することが可能になるかもしれない。

3人の子どもたちの内の一人は、まるで睨み付けるように、撮影者であるアンリ・カルティエ=ブレッソンに視線を向けている。技術的なことはさておき、人物を撮影する場合の大切なことの一つとして、撮影者と被撮影者とのコミュニケーションのとりかたということがあるとすれば、その写真に登場する人物の中で、撮影者と関係性が生じているのはその女の子ただ一人なのだ。

アンリ・カルティエ=ブレッソンは、木村伊兵衛を撮っているようでいて、彼の視線は実はその睨み付けるようなまなざしの女の子に向けられていたにちがいない。そういう意味では、主役はその女の子だと言ってもよいのだろう。
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2010年01月07日

木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン展

東京都写真美術館で「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン展」をみてきた。写真美術館に行ったのは今回でたぶん3回目になる。最初に訪れたときは写真ではなく、アンリ・カルティエ=ブレッソンのドキュメンタリー映画をみたと記憶している。

彼の名前を知ったはいつだったのか、今となってはもうすっかり忘れてしまった。あるいは、彼を一躍有名にした写真として、「決定的瞬間」という作品があることを知ったときかもしれない。その後、国立西洋美術館で催された写真展にも出かけたことがある。

決定的瞬間をとらえるためには、構図などを考えている余裕はないものと思われるが、彼の写真の構図はすみずみまで計算し尽くされているという印象を与える。二十歳のころ絵画を学んだことがあり、そのことが彼の写真に影響を及ぼしているのかもしれない。

今までそういうスキのない写真を見ては、もう無条件に感心していたのだけれど、今回展示会場で彼の写真を見続けていて、大げさに言えば窮屈さと息苦しさを憶えることもあった。そういう時に木村伊兵衛の写真を見ると、なんとなくホッとする気分をもたらしてくれた。

言うまでもないが、木村伊兵衛が構図に無頓着であったなどということではない。彼は、構図をある程度のところまで固めると、そのあとは自分の感覚・気分をたよりに、エイヤッと撮ってしまったのかもしれない。そういう写真は、見る方も身構えたりする必要もなく、直感的に受け止めて、それが醸し出す気分を味わっておけばいいのだ。

シャッターを押すまで理詰めで押し通す(たぶん)アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真は、見る方も頭を論理的にして見なければならない。そして一枚の写真のすみずみにまで眼を配っている鋭いまなざしを感じて、「スゴイな」と思わずつぶやくのだ。彼の何枚もの写真を見続けて、いい加減頭がくたびれた時、木村伊兵衛の写真見ると、なんとなくホッとする気分をもたらしてくれるのも、故ないことではないのだ。

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東京都写真美術館のある恵比寿ガーデンプレイスへは、JR恵比寿駅から動く歩道をを乗り継いで行くのがお定まりのコースだが、今回はそれに乗らずに地べたを歩いて行った。街の様子を見たかったのだけれども、あまり面白みはなかった。それに加えて途中で道に迷ってしまったのだからどうしようもない。

体内方位計が、違う方向に歩いているのではないかとしきりに警告を発していたので、ベビーカーを押して来るヤングママに道を尋ねたところ、まったく逆の方向に向かっていたことがわかった。私の体内方位計も、まだ狂いは生じていないようだ。

そういえば、ガーデンプレイスには小さな子どもを連れたヤンママの姿を見掛けることが多かった。あるいは道を教えてくれたヤンママも、そこに行く途中だったのかもしれない。かえりは、おとなしく恵比寿駅まで動く歩道を利用した。

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2009年12月25日

写真集

図書館から借りた写真集は、まだすべてに目を通していなかったが、すでに一度延長手続きをしたので、再度延長することはもうできない。午後図書館に行き、返却してきた。

〔返却図書〕
 木村伊兵衛のパリ
 土門拳の「早稲田1937」
 林忠彦写真全集

この3人の写真家は、写真に多少なりとも興味を持った人なら、必ずその名前に接したことがあるに違いない。写真にあまり関わることのない人でも、その名前を知っている人は少なくはないと言ってもよいのだろう。

写真塾の先生は、土門拳と林忠彦に師事したらしい。ウェブに掲載された今年度の募集要項で、そのように紹介されていた。以前写真塾の撮影会で、益子の陶芸家の工房を訪ねたことがあった。その時に撮影した写真の講評会の席で、塾生の写真を見ながら、
「師匠は、職人は手を……」
とおっしゃったことがあった。この「師匠」とは、たぶん土門拳のことを指すのだろう。

〔借りた図書〕
 東京猫町…荒木経惟
 土門拳の世界…岸哲男
 ウジェーヌ・アジェ回顧
 のすたるぢや…萩原朔太郎
 里山物語…今森光彦
 東大寺…土門拳

いづれも写真集なのだが、著者の中に詩人が一人含まれている。言うまでもなく萩原朔太郎で、娘さんの萩原葉子さんによると、手品やマンドリンのほかに写真にも凝ったらしい。ただしその写真は立体写真機で撮られたもので、それをステレオスコープで覗くと立体的に浮き上がって見えて、終生手元に置いてそれで見るのを楽しみとしていたそうだ。
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2009年12月08日

写真教室の最終回

写真展は今日から始まったが、「ステップアップ写真術」の講座は今日が最終回、講座は終わっても写真展は土曜日まで続く。

アカイヌご夫妻に写真展の案内状を出したところ、今日来てくれるということになり、講義が始まる前に見ていただいたのだった。そのあと昼食を共にして、別れたあとアカイヌご夫妻は大学構内を散策するということだった。そして、そのあとの予定がすごい。なんとも羨ましいことに、品川の超高級ホテルに一泊するそうだ。そのあたりの経緯は、「アカイヌ王国」のウェブサイトに載っている。

最終回の講義のテーマは、写真の整理・保管に関することだった。特に保管に関しては、受講生からさまざまな発言が相次ぎ、収拾がつかないような状況になったこともあった。

写真撮影に関しては、技術的にも経験の長さでも先生にはもちろんかなわない。ところがディジタル関係の話になると、
「私は、コンピュータ業界に30年以上身を置いてきた人間ですから、半永久的に保管することなど不可能と言わざるを得ないですね。3年先さえ、どうなっているか分かりませんよ。せっかくあるメディアに保存しておいても、そのメディアからデータを読み込む機械がなくなっているかもしれませんから」
というようなことを言う人もいて、侃々諤々の議論がわき起こった。
「結局プリントして、紙で保管しておくのが一番いいんですよね」
「それも、だめですよ。用紙が劣化して、色が褪せてきます」
「そうなると、違った味が出てきてかえっていいかもしれませんね」
「色が褪せる前に、私たちの方が先に褪せてきて、この世から消えてなくなってしまうかもしれません」
これを聞き、一度は声を合わせて笑ったものの、みな現実に引き戻されたのか、その後は黙りこんでしまった。20年・30年先のことを心配しても仕方がないことに気づいたのだった。

「いろんな意見が出てきて、今日は非常に有意義な時間を持てましたね。学生では、こういう具合には行きませんよ。いろんな経験を積んでこられた方がいらっしゃるからですね」
とまとめたのは、懇親会の取りまとめをしてくれた人だった。

講義終了後お疲れさん会をしようと声を掛けられ、5人が中華料理店に寄り集った。私を含めた3人は、今までに何回か飲み会をもったことがあったが、残りのお二方とは初めて顔を合わせた。講座は終わってしまったが、これからも時々顔を合わせる機会をもっていこうという話になり、とりあえず来年の3月ごろに、撮りためた写真を持ち寄って、合評会を行うことにした。
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2009年12月07日

展示準備

いよいよ明日から写真展が開催される。今日はその準備の日で、作品搬入・展示準備を行った。準備の日を含めて展示期間の5日間のお手伝いは、あらかじめ受講生が申し出た希望日を集計して、エクステンションセンターの担当者が割り当ててくれた。

私は、今日の割り当て、つまり準備を手伝うことになった。ただ午後の担当者は私一人だけ、どの程度の作業量となるのか見当がつかず、どうなることやらと思いつつ、会場となる「ワセダギャラリー」に出かけた。結局集合したのは8人で、作業を進める上ではちょうどいい人数だった。内訳は、講師の先生と会場レイアウトの担当者、センターから二人、午前中から引き続きお手伝いの受講生二人、手伝い日を変更した人、そして私の8人。

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私が行った時は、写真はソファあるいは床に並べられていた。その後、配列順序を決め、天井からワイヤーで吊るし、照明の位置を調整した。大ざっぱに言えばこういう手順で行ったのだが、もっとも時間がかかったのは写真の配列の仕方だった。

最初は、撮影対象をカテゴリー別に分類して並べてみたのだが、単調すぎておもしろみがないということで、レイアウト担当の人の意見に従って、配置変えを何回も何回も繰り返し行った。

すべての作業が終わったあと、その方からレイアウトに関する説明があった。一見すると無秩序にランダムに並べているようだったが、そこにははっきりとした意図が忍ばされていた。心の中にストーリーを思い浮かべながら、また、隣接する作品同士が、お互いに相手を引き立て合うように配列することが重要だということだった。確かに最初の配列の仕方と比べると、作品点数にはもちろん変化はないのに、展示会場全体が広く豊かな空間へと変化したように感じられた。

真っ先に配置を決めたのは、順路の1番目の位置ではなかった。それでは、その位置はどこなのか。また、そこにどういう作品を選んだのか。もちろんそこにも必然性があった。そういうことを考えながら、展示会場(あまり広くはないが)を回って行くのもおもしろいかもしれない。

展示されているのは31作品、講師の先生の作品が最後を飾る。
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2009年12月04日

第七回写真塾…井の頭公園の秋

ちょっと、いやだいぶ遅くなりましたが、第七回写真塾の撮影会の記事です。

日時:11月21日(土)
   13:00〜
場所:井の頭公園

O先生は忙しいということで、欠席。なぜ忙しいのか、だいたいのところは見当がつく。たぶん〆切りに追われているのだろう。そこで講師は、益子の撮影会の時にお世話になったK先生が担当。

生まれ育った吉祥寺ではあるけれど、転居したあと中央線が高架となり、すさまじい変貌を遂げた今では、昔日の面影はほとんど残っていない。今年に入って、入院していた人を見舞った帰りに立ち寄ったことがあったけれど、平日であるのに北口駅前は人の波で埋め尽くされ、思い出に浸ることさえ許してくれなかった。

今回は井の頭公園の秋を撮るので、駅の南口に出た。こちらもたいそうな変わりようで、駅前から公園へと続く小道の両側には、しゃれた店が建ち並び、動く歩道に乗った時のように、こちらの意思とは無関係に押し流されていくより仕方がなかった。公園入口近くの右側に、焼き鳥の「いせや公園店」があった。

集合したあとK先生から、撮影ポイントの説明などがあり、1時間ほど各自自由に撮影して、弁財天に再集合することになった。K先生が真っ先に言ったことは、「光をとらえること」の重要性、秋の午後の陽の動き注意して、光の変化のおもしろさをとらえることの大切さだった。

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お茶の水
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大道芸
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弁財天に集まった後、K先生が言ったことも「光」に関することだった。陽が西に傾きはじめるこれからの時刻は、「光」が大きく変化する。残りの時間を、池の面をジット見つめて過ごすのもいいかもしれない。一番良い光が訪れた時に、シャッターを押す。こんなことを話してくれたのだが、一時間以上もじっと池だけを見続けているのは、無駄な時間を過ごしているようにも思われた。しかし、K先生の顔は冗談を言っている顔ではなかった。

弁財天
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撮影会終了後は、希望者だけが北口に出て、ハーモニカ横町に寄っていくことになった。ハーモニカ横町も様変わりしていた。戦後の闇市から続いている店はほとんどなくなり、こちらも今風なしゃれた店が並んでいた。戦後から営業を続けている「清水屋」で漬け物を買い求め、行列ができていたタイ焼き屋さんで数匹を買い求め、飲み屋さんに吸い込まれていった人たちと別れて家路についた。

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ハーモニカ横町
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漬物店「清水屋」
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北口駅前
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清水屋」


物店「清水屋」
漬物店「清水屋」「清水屋」店「清水屋」
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2009年11月27日

写真集・写真展

近頃、「里ふくろうの日乗」の更新が滞っている。「フォト漫遊記」の方の記事は、一ヶ月ぐらいかかってやっとハイデルベルクにたどり着くというノンビリとしたペースだが、なんとか更新を続けている。そちらに力を注いでいると、「日乗」の方がおろそかになる。平行して二つのブログを書き続けることは、なかなか難しい。

写真公募展に出品する写真を、市立美術館に届けてきた。選んだ写真は2点、ヨーロッパ旅行の写真にしようかと思ったこともあったが、結局地元で撮った写真を出すことにした。

美術館からの帰りに、図書館に立ち寄り写真集を借りた。
 木村伊兵衛のパリ
 …2006年7月、朝日新聞社
 土門拳の早稲田1937
 …2009年7月、講談社
 イタリア 猫の日曜日
 …2007年4月、風媒社
 林忠彦写真全集
 …1992年8月、平凡社

現在「新宿歴史博物館」で、林忠彦の写真展が開かれている。先日、写真教室の写真展に出品する作品を、事務室に届けた帰りに立ち寄り、銀座のバー「ルパン」で撮影され、彼の代表作となった太宰治の写真などを見てきた。

林忠彦・写真展「新宿・時代の貌」
 …10月31日(土)〜12月19日(土)
http://www.regasu-shinjuku.or.jp/shinjuku-rekihaku/public_html/special.html#tadahiko

また明日からは、「東京都写真美術館」で「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし」という写真展が開催される。
 …2009年11月28日(土)→2010年2月7日(日)
http://www.syabi.com/details/kimura.html
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2009年11月17日

写真展開催!

第七回写真講座。あいにくの雨模様で、かなり冷え込ん日だった。いつもの教室を離れて、少し離れたところにある建物に移動して、広い教室で照明器具を利用した撮影実習を行った。春講座でも同様の撮影実習があったが、今回も撮影対象は陶器だった。

受講生の作品による写真展は、12月8日(火)から5日間が予定されている。早いもので、もう一ヶ月を切ってしまった。出品作品の締め切り日は、先週の11月13日(金)だった。ヨーロッパ旅行中に撮影した写真を出品しようと思って、好天に恵まれたスイスの山の写真を最初は選んでみたのだが、ほかの写真を見ているうちに気が変わり、結局ハイデルブルクとパリで撮った写真を選び、先週の木曜日にエクステンションセンターまで足を運んで提出したのだった。

提出した2点のうち1点だけが展示されるということだが、さて講師の先生はどちらを選んでくれるのだろうか。なんとなくあの写真の方を選んでくれるような気はするが…

なお、エクステンションセンターのウェブサイトに、17日付で告知がアップされていた。

http://www.ex-waseda.jp/index.html
http://www.ex-waseda.jp/news/detail.php?n=0066
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2009年11月12日

作品提出・林忠彦写真展

写真展への出品候補作品を、エクステンションセンターの事務所に届けた。その足で、「新宿歴史博物館」で行われている「林忠彦写真展」を見ていくことにしてあった。わざわざ都心まで出てきて、そのまま帰るのではもったいない。

センター近くのバス停から渋谷行きに乗り、荒木町で下車して10分ほど歩けば「新宿歴史博物館」に着く。

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林忠彦といえば、太宰治の写真。銀座のバー「ルパン」で、売り出し中の太宰治と偶然出会い、フラッシュバルブの最後の一つを使って撮影した写真が、彼の代表作となった。その写真をはじめとして、坂口安吾・川端康成・志賀直哉などの文士の写真は、「文士の時代」コーナーにまとめられている。ほかに「カストリ時代「、「小説のふるさと」といったコーナーが設けられていた。

また、何人かの作家直筆の原稿も展示してあった。川端康成の原稿は、一字一字が大きく力強く書かれ、実に丁寧に原稿用紙のマス目の一つ一つ埋めていた。活字にしなくても、そのまま
の状態でも判読に苦労することなく、文章を追っていくことができるくらい整っていた。
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2009年11月11日

久しぶりの写真教室

今日は久しぶりで写真教室に出席した。前回出席したのは10月20日で、ヨーロッパ旅行に出発する前日だった。旅行期間と重なって講義を1回休み、帰国してから迎えた最初の火曜日は、11月3日の文化の日で休講、結局三週間ぶりの参加となった。

10月20日は実習として大学構内で撮影会が行われ、今日はその時に撮った写真の講評会。前回の講評会では、CD−Rに焼いて提出した写真をプロジェクターで投影したが、それが家のパソコンで見た時より、かなり暗い画像になってしまった。ほかにもそういう写真があった。プロジェクターの性能が、あまり良くなかったからだろう。今日教室に入ると、係りの人が機器のセッティングをしていたのだが、プロジェクターが新しいものになっていた。

CD−Rで提出する場合は、講師の先生が前もってパソコンに取り込んで整理しておく関係で、講評会の一週間前に提出しなければならない。前回は欠席して提出できなかったから、印刷したものを持参した。

CD−Rに焼いた写真の場合は、パソコンに取り込んで整理する段階で、先生はあらかじめそれをチェックすることができるわけだから、講評をあらかじめ考えておくことができるはずだ。それに対して印刷したものは、ぶっつけ本番で講評しなければならないから、かなり難しいことなのだろうと思うのだが、作品を一目見るだけで、次から次へと言葉がなめらかに出てきて、評を加えていくのだから、なかなかたいしたものだと言えよう。

言葉で表現することが苦手だから、写真で表現するんだと言う写真家もいるようだが、講師の先生は言葉も巧みに操る。写真評論家としても、活躍することができるかも知れない。

私が提出した写真については、ポストカードにして、机の上にでも飾っておきたい感じですね、というありがたいお言葉をいただいた。ただその感想を、帰りの電車の中で反芻しているうちに、ポストカードとは絵はがきのようなものだな、絵はがきといえば、決まり切った絵柄で、あまりおもしろみのないものの代名詞として使われることもあるな、そんな意味合いが込められていたのかな、というような具合に、マイナス思考が心をよぎることもあったが、やはり素直に誉め言葉として受け取ることに思い直したのだった。

あまりにも唐突ですが、ここで非常事態が発生した。あろうことか、机の上にゴキブリがポトリと落ちてきたのだ。どこからか飛んできて不時着したのか、それとも天井から落ちてきたのか、それは分からない。

今まで、台所とか居間とかでゴキブリが発見されたことはあったが、自慢ではないが私の部屋では一度も目撃したことがなかった。それなのに、どうして…ということなのである。さっそく写真におさめた。そして捕獲しようとしたら、机の上を逃げ回った末、自らゴミ箱の中に身を投げてくれた。

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2009年09月29日

写真教室の秋講座

今日から、写真教室の秋講座が始まった。講座名に「ステップアップ」が冠されている通り、春講座を受講した人が、さらなるレベルアップをめざすためのものだ。定員は30名だったが、希望者が多く35名に増やしたそうだが、その後キャンセルがあったようで、結局最初の定員の30名が受講することになった。

受講者の多くは春講座の修了生で、新顔の人は数人だった。あの仕事を抜け出して参加していた人は、今回は不参加。少しまずいことになってきたらしく、ほとぼりが冷めた頃にまた受講したいと、春講座の打ち上げの際に言っていた。

初回の今日は、人数は少ないものの新顔の人もいることなので、春講座の初回の時とはぼ同じ内容だった。ただ、講師の先生の自己紹介の時、先生の作品をプロジェクターで映し出して見せてくれた。その中には、テレビCMにも登場した指揮者の西本智実さんの写真も含まれていた。

今回の講座では、最後に受講者の写真展が予定されている。会場を確保できて、日程が以下のように決まったそうだ。
 12月7日〜12日

春講座では、終了してからバスで上野に出て、上野公園に立ち寄るとまだ明るかったが、9月も末になると、さすがに日の暮れるのが早くなる。今日はまだ薄暮の光が不忍池を包んでいたが、これからは日没が早まってきて、上野に着く頃には不忍池も闇に抱かれ、春講座の時とはまったく違う趣を漂わせているにちがいない。
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2009年08月24日

写真塾の講評会(2)

コンクリートの流し込み作業はすでに先週行っていたので、もうないだろうと思っていたところ、午後、またコンクリートミキサー車とポンプ車とが連れ立ってやって来た。作業が始まってしばらくすると、急に強い雨が降ってきた。「tenki.jp」で雨雲の動きを確認してみると、千葉県全体図の佐倉市周辺部分だけに赤い印がつけられていた。全国各地で被害を出している局地的なゲリラ豪雨に見舞われのだった。小一時間ほど降り続いたが、この辺りではさいわい被害はなかった。

さて写真塾の講評会では、写真の「切り方」について、それが必要なとなる写真ごとに具体的な説明があった。講師の先生はよく「切る」とおっしゃっていたが、もちろんトリミングのことである。

撮影した画像に手を加えることは、好ましいことではないという観念が、いつ頃からなのかは分からないが、ともかく頭に染み込んでしまって、固定観念となっていたような気がする。もちろん撮影したままの生画像が、そのままの形で作品となるのが望ましいのだが、撮影経験の乏しい者にとってはなかなか難しいことだ。

写真教室でも、生画像を加工することの是非について、質問が出たことがあった。加工するということは、心の中で思い描くイメージにできるだけ近づけるためにすることだから、表現手段として行ってもかまわないというのが、先生の答えだった。ただし、そういう処理が許されない分野の写真があることも事実ではある。

トリミングすることも、必要性があれば積極的に行ってもよいのだ。それによって印象が大きく変わることもあるし、主役がよりはっきりと浮かび上がることもある。塾生の写真を実際に切ってしまうわけにはいかないので、L字型に切られた二枚の白い紙を使って、不必要な部分を隠して見せてくれると、そういうことが実感として分かってくる。

具体例として、3回目の撮影会「ベリーダンサーを撮る」の私の写真を取り上げてみる。ただし肖像権のことがあるので、あらかじめ上部を取り除いてある。

A−元の写真
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B−トリミング後の写真
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先生の指摘によれば、Aの写真の問題点は、木の左側に白い線が出ていることだ。それは舞台として使用されている板が伸びて木の左側に出ているのだが、それがあることによって、横に延びる白い線が強調されて目障りなものとなってしまう。そこで、木の左側の白い部分を切ったのがBの写真である。確かに視線が分散されることがなくなり、意識を人物に集中できるようになる。

昨日・今日とトリミングをいろいろな写真で試してみた。以下は、トリミングによって主役をはっきりと示すことができるようになった写真の例だ。Aが元の写真、Bが一回目のトリミングを行った写真、もう少し主役が目立つように二回目のトリミングを行ったのが、Cの写真だ。


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2009年08月23日

写真塾の講評会(1)

還暦をこえてからは、誕生日などというものは、気がつかないうちに通り過ぎてもらいたいと思うのだが、8月に入り、同じ誕生日の有名人の顔を見たりすると、どうしても思い出してしまう。誕生日の祝いなども、もう今さらという感じがするので、家族で外に食べに行くことですませてしまう。昨日が誕生日だったのだが、ちょうど写真塾のある日だったので今日食べに出かけた。

昨日の写真塾は、過去3回の撮影会で撮りためた写真の講評会だった。午後1時半から始まり4時過ぎまでかかった。各回ごとに3点づつ選び、部屋の壁際にはられたヒモにクリップで留めてたらす。写真用紙にクリップ跡がつくのではないかとチョット気になったが、たいした写真ではないし、またプリントアウトすればいいことなので、気にしないことにした。

写真教室でも講評会はあった。そのときは講師の先生が、一枚づつ手で掲げて皆にみせた。写真を持つ時、指紋がつかないようにと白い手袋をはめていた。ピントがボケけているような写真でも、常にそのように丁寧に扱っていたことを思い出す。

2段に並んだ写真をまず塾生たちが見て、気に入った写真の下に付箋を貼っていく。投票権は一人あたりて3枚だ。私の写真は、最高4枚、最低0枚という成績だった。最も得票数の高かった写真は、付箋が6〜7枚だったと思う。一枚でも付箋を貼ってくれる人がいると、うれしいものである。

塾生たちが選び終わったあと、講師の先生が一枚ずつ講評をしていく。先生がどういう基準で評価を下していくのか、ということに興味を抱きつつ講評を聞いていたが、そのことをみ見極めるのはなかなか難しかった。最高点を取った写真に関しては、あまりよい評価を出さなかった。逆に誰も付箋を貼らなかった写真を取り上げ、一番の賛辞を送った。

その写真は、特に趣向を凝らした写真ではなく、ただ素直にありのままを撮ったという印象の写真だった。そういう写真を選びとったということは、その選択の仕方に何かのメッセージを込めているのだろうか。奇をてらわずに素直に撮った写真の方が良いのだよ、ということを伝えようとしているのだろうか。それともただ単に、塾生の多くが選んだ写真に賛意を示すことを避けただけのことだったのだろうか。そういったことを見極めるためには、もう少し大橋先生とお付き合いする必要がありそうだ。
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2009年08月18日

写真の選び方

ここのところ風に涼しさを感じる日が続き、なんとなく秋の気配が感じられてきたと思っていたところ、今日庭でツクツクホウシが鳴いた。以前にも一度だけ鳴き声が聞こえたことがあったが、あれは地上に出て来る時期を間違ってしまったツクツクホウシだったのだろう。今度こそ、ほんとうに秋の気配を察して鳴き始めたに違いない。

それにしても、子どもたちの夏休みがまだ2週間ほども残っているこの時期に、ツクツクホウシが鳴くということは、例年にはないことだ。今年の夏は短く、秋の到来が早まりそうだ。

今週末には、第4回写真塾が予定されている。今回は、第1回から第3回までに撮影した作品の講評会が行われる。その日までに、各回につき作品を「約3点」ずつ選んでおかなければならない。「約」となっているところが写真塾らしいところで、あまり堅苦しいキマリを設けないのが写真塾の流儀のようだ。

すでに終了した写真教室では、必ず一枚だけ選んでくるよう指示された。撮影者自身で一枚の写真を選ぶということは、難しいことだけれどとても良い勉強になる、と講師の先生はいつも力を込めておっしゃっていた。ナルホドもっともなことだと納得して、ウンウン唸りながらやっと一枚に絞ったのだった。

一枚だけ選ぶということは、他人が見ればどれを選んでも同じように見えるかもしれないが、本人にとっては皆愛着のある写真だからほんとうに難しいことなのだ。実際に選んで見て、一枚に絞るということは、自分で撮った写真を客観的に見る訓練になると思ったりもした。

写真塾の講評会では、普段撮っている写真を持参してもよいということだから、今までに撮りためておいた写真も何点か持っていこうと思っている。最終的には撮影者自身が一枚に絞り込むにしても、その過程でプロの写真家の目で評していただくことは、これはこれで勉強になるに違いない。
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2009年07月21日

第3回写真塾

先週の土曜日は、3回目の写真塾だった。夕刻の光の中でベリーダンスを撮るという企画は、写真塾の講座として初めての内容だったらしい。年間予定では花火を撮ることになっていた。花火の撮影となると三脚は必需品だから、この際軽いものを購入しようと思っていたが、その必要がなくなった。

ギャラリーの中庭には、まだ木の香りが漂ってきそうな木材で、舞台がしつらえられていた。講師の大橋先生が舞台周りの最後のチェックをしていた。地面をしきりに眺めてから、近くの人にホウキで掃くように声をかけた。言われた人は、目につくゴミを庭の隅の方に掃き寄せ、それで終わりにした。ところが先生はそれだけでは満足せず、今度は自らホウキを手にして、地面をなで始めた。先生が気に掛かっていたのは、地面に残されていた足あとだった。

今回の企画は、なにしろ初めてのことだから、大橋先生はいろいろと心配して、午前中から準備に追われたそうだ。舞台にかかっている木の枝を、撮影の邪魔にならないように、ガムテープでとめて向きを変えるようなこともしたらしい。先生が身につけていた黒のシャツには、汗がにじみ出ていた。ご高齢ではあるが、痩身の体躯はまだまだ衰えていないように見受けられた。

写真塾のホームページには、塾長の紹介文が載っている。そこには、次のような略歴が記されている。
『土門拳、林忠彦に師事。1960年以後、フリーのカメラマンとして活躍する建築写真家。』
生年は記されていないが、ご自身で末期高齢者いや後期高齢者だとおっしゃっていたので、70歳代後半というところだろう。建築写真の第一人者と評価されているそうだが、塾生にはいつも自然体で接してくれる。

撮影現場では、その場に応じて参考となるアドバイスを出してくれる。その日も撮影前に、被写体が激しく動くのでシャッタースピードを上げるため、ISOを高くしておいた方が良いでしょうという助言があった。また撮影途中では、塾生たちが遠巻きで撮影していると、「もっと近づいて撮りましょう」と声をかけてくれた。

写真塾の撮影会の終了後、午後7時からは一般の人向けの公演があるということを大橋先生が教えてくれたので、開始時間まで撮影しながら神楽坂をブラブラと下り、夕食は学生時代に利用したことのある蕎麦屋さん「翁庵」でとった。

ベリーダンスの一般公演は、予定より少し遅れて7時過ぎから、ギャラリー内で始まった。ただし、あらかじめ申し込んだ人だけが入場できる。先生もそのことは知らず、中庭で行われると思っていたようだった。仕方なく先生と私は、ギャラリーの出窓の外側から中の様子を撮影した。他の塾生たちはいなかった。

ガラス越しの撮影は難しい。夜の撮影はなおさら難しい。先生はどんな場面でシャッターをきるのだろうと、闇の中で耳を澄まし、先生のカメラのシャッター音を追いかけた。そして、撮影している姿勢も参考になるだろうと思い先生の方を見ると、イスを踏み台代わりに使い、塀によじ登り、その上に腰掛けてカメラを構えていた。
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