2012年03月06日
おきなわワールド(2)
全長890メートルの地下の散策が終わると、今度は地上の遊歩道を、入り口の方向へ向かって、逆方向に歩いて行くことになる。まずは「熱帯フルーツ園」を通り抜け、疲れを感じ始めた頃に、「フルーツ茶屋」が設けられている場所に至る。一休みして疲れをとった方がいいよ、と待ち受けている感じもするが、やはり何か飲み物を求めたくなるのは仕方がない。
そこで目をつけたのが、さとうきびジュース。サトウキビをその場で砕いて絞って、ジュースにしてくれる。なにしろ砂糖の素だから、もちろん砂糖など加える必要はない。それでは砂糖水を飲むのと同じではないかということにもなりそうだが、実際に口に含んだ感じはそうではなかった。
最初は、ちょっと青臭さが感じられた。オェッとなるような強烈な青臭さではなく、あくまでもほんのりとかすかに感じるだけで、二口目からはまったく気にならなくなった。砂糖の素だけあって甘みは強いが、ベトベトとした感じはなく、後味はさっぱりとしていた。細長く切ったサトウキビが添えられていて、歯でガリガリとかじって甘みを絞り出して味わう。
途中には、土産店をはじめとして、さまざまな誘惑が待ち受けていて、足を止めて見入っていると、到底集合時間には間に合いそうにもない。急ぎ足で通り過ぎていくより仕方がなかったが、おかげさまで散財せずにすんだ。
〔マンゴーまん〕
〔紅型工房〕
〔南都酒造所〕
〔エイサー広場〕
posted by 里実福太朗 at 23:55| フォト紀行
2012年03月05日
おきなわワールド…玉泉洞
「おきなわワールド」の見どころは、なんといっても鍾乳洞の「玉泉洞」だろう。まだアメリカの統治下にあった1967年、愛媛大学の学術探検部が最初の調査を行ったそうだ。その後も調査が続けられ、次第に鍾乳洞の全容が明らかになっていった。
鍾乳石の数は国内最多の100万本以上、全長は5キロメートルに及ぶという。現在は、そのうちの890メートルが公開されている。全長の五分の一に満たないが、それでも玉泉洞の神秘的な世界を堪能することができる。
鍾乳石の数は国内最多の100万本以上、全長は5キロメートルに及ぶという。現在は、そのうちの890メートルが公開されている。全長の五分の一に満たないが、それでも玉泉洞の神秘的な世界を堪能することができる。
posted by 里実福太朗 at 23:46| フォト紀行
2012年03月03日
新原ビーチのワンちゃん
出迎えてくれたのは、ネコだけではなかった。スタイルのいいイヌまでが、出迎えてくれた。最初はそう思ったのだが、イヌの動きを追っていくと、迎えてくれたのではなかったようだ。
店の裏手に回り込み、物欲しげな顔で中をのぞき込んだ。そうすれば、なにか食べ物にありつけるのだろうか。その日は、残念ながら目論見は外れたようで、トボトボと去っていった。
店の裏手に回り込み、物欲しげな顔で中をのぞき込んだ。そうすれば、なにか食べ物にありつけるのだろうか。その日は、残念ながら目論見は外れたようで、トボトボと去っていった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| フォト紀行
新原ビーチのまねきネコ
ビーチ乗り場の店先で、ネコが「ミャー」とないて出迎えてくれた。毛並みが良くてきれいであるところを見ると、家ネコなのだろう。
もう一匹出迎えてくれたネコがいた。こちらも、「ミャー」と鳴いてくれた。
いつも見ている東京の公園ネコより精悍な面構えをしていて、野生の血を色濃く保っているように見受けられた。しかし近寄ってみると、見かけ倒しで、だらしがなくもコソコソと逃げ出して、少し離れた場所で海を眺めていた。公園ネコたちは、池を眺めて暮らしているが、沖縄のネコは、ひなが海を眺めているようだ。
もう一匹出迎えてくれたネコがいた。こちらも、「ミャー」と鳴いてくれた。
いつも見ている東京の公園ネコより精悍な面構えをしていて、野生の血を色濃く保っているように見受けられた。しかし近寄ってみると、見かけ倒しで、だらしがなくもコソコソと逃げ出して、少し離れた場所で海を眺めていた。公園ネコたちは、池を眺めて暮らしているが、沖縄のネコは、ひなが海を眺めているようだ。
posted by 里実福太朗 at 23:30| フォト紀行
2012年03月02日
新原ビーチ(みーばるビーチ)でグラスボート
二日目からは、バスガイドさんが同乗して添乗さんとの二人体制になった。三日目も同様で、最終日は再び添乗さん一人に戻った。
添乗さんの話し方は、おだやかで、ゆっくりゆっくりとしていて、いかにも南国-沖縄という雰囲気を漂わせていた。バスガイドさんの方は、いつもハイテンションで、言葉を力任せにぶつけてくるような話しぶりで、最前列から二列目に座っていた当方は、不運を嘆かざるを得なかった。
最初の目的地は「新原ビーチ」、グラスボートに乗って海底の珊瑚を見たり、遠浅の海を気持ちよさそうに泳ぐサカナたちを見ることができる。このコースは事前オプションで、申し込まなかった人たちは国際通りの散策で自由時間を過ごす。
船底を長方形にくり抜いて透明板をはめ込み、そこから海底を覗き込む。船が動いている時に覗き続けていると、気分が悪くなっている。さらに見続けていると、吐き気をもよおしてくる。バスガイドさんがそう言っていたが、たしかにその通りで、実際参加者の中には体調が悪くなった人もいた。
ウソかホントか、添乗さんによれば、ビーチにいるサカナたちには名前がつけられているそうだ。サダコという名前のサカナもいるそうで、「サダコ」と呼ぶと近寄ってくるという。それを聞いていたガイドさんがマイクを握ると、サダコはすべてのサカナにつけられた名前で、「サダコ」と呼べば、近くを泳いでいるサカナがみんな寄ってくる…と言っていた。
◆動画
〔新原ビーチの海底散歩−A〕
ファイル形式:WMV
長さ:約3分
〔新原ビーチの海底散歩−B〕
ファイル形式:MOV
長さ:約3分
添乗さんの話し方は、おだやかで、ゆっくりゆっくりとしていて、いかにも南国-沖縄という雰囲気を漂わせていた。バスガイドさんの方は、いつもハイテンションで、言葉を力任せにぶつけてくるような話しぶりで、最前列から二列目に座っていた当方は、不運を嘆かざるを得なかった。
最初の目的地は「新原ビーチ」、グラスボートに乗って海底の珊瑚を見たり、遠浅の海を気持ちよさそうに泳ぐサカナたちを見ることができる。このコースは事前オプションで、申し込まなかった人たちは国際通りの散策で自由時間を過ごす。
船底を長方形にくり抜いて透明板をはめ込み、そこから海底を覗き込む。船が動いている時に覗き続けていると、気分が悪くなっている。さらに見続けていると、吐き気をもよおしてくる。バスガイドさんがそう言っていたが、たしかにその通りで、実際参加者の中には体調が悪くなった人もいた。
ウソかホントか、添乗さんによれば、ビーチにいるサカナたちには名前がつけられているそうだ。サダコという名前のサカナもいるそうで、「サダコ」と呼ぶと近寄ってくるという。それを聞いていたガイドさんがマイクを握ると、サダコはすべてのサカナにつけられた名前で、「サダコ」と呼べば、近くを泳いでいるサカナがみんな寄ってくる…と言っていた。
◆動画
〔新原ビーチの海底散歩−A〕
ファイル形式:WMV
長さ:約3分
〔新原ビーチの海底散歩−B〕
ファイル形式:MOV
長さ:約3分
posted by 里実福太朗 at 23:50| フォト紀行
2012年03月01日
沖縄の天気予報は当たらない?
沖縄での初めての朝を迎えた。天気予報では、晴れるはずだった。しかし、那覇の空は、灰色の雲で覆われていた。そしてホテルを出て、毎朝繰り返されるという通勤時間帯の渋滞に巻き込まれた頃から、雨がバスの窓をポツリポツリと濡らし始めた。
聞くところによれば、沖縄の天気予報は、まずは当たらないものと思っていた方がいいそうだ。そんな具合では天気予報を見ても仕方がないということになってしまうが、なんとか天気が回復するようにと願う心に動かされ、ついつい天気予報を見てしまう。天気予報を確かめることが、青空を実現させるための一種の儀式のようなことになっているのかもしれない。
夫人は、ついにてるてる坊主を作り始めた。以前にも、旅行途中で雨に降られたことがあって、てるてる坊主を作ってみたところ、みごとに効果が現れて雨がやんだということがあった。それ以来自信を深めた夫人は、今回もその効果をねらったのだが、お手製のてるてる坊主も沖縄の天気には勝つことができなかった。
聞くところによれば、沖縄の天気予報は、まずは当たらないものと思っていた方がいいそうだ。そんな具合では天気予報を見ても仕方がないということになってしまうが、なんとか天気が回復するようにと願う心に動かされ、ついつい天気予報を見てしまう。天気予報を確かめることが、青空を実現させるための一種の儀式のようなことになっているのかもしれない。
夫人は、ついにてるてる坊主を作り始めた。以前にも、旅行途中で雨に降られたことがあって、てるてる坊主を作ってみたところ、みごとに効果が現れて雨がやんだということがあった。それ以来自信を深めた夫人は、今回もその効果をねらったのだが、お手製のてるてる坊主も沖縄の天気には勝つことができなかった。
posted by 里実福太朗 at 23:41| フォト紀行
2012年02月29日
沖縄入門ツアー初日(2)…参加者・ホテル・食堂
那覇空港に着いたのは、夕闇迫る午後6時頃だった。沖縄の空も、雲に覆われていたが、気温は20度を超えていて、寒い日が続いていた関東地方に比べればまさに別天地のような暖かさだ。厚手のセーターなどはもう必要なく、すぐに旅行カバンにしまい込んだ。
ツアー参加者は47名、韓国やフィリピンの人たちの顔が見えたり、二十代のギャル系あるいはイケメン系の若い参加者もいて、今までのツアーとは違ってバラエティーに富んだメンバー構成だった。
また、たった一人で参加した高齢の女性もいた。今までも一人で参加した人の姿を見ることはあったが、今回のような高齢者はいなかった。ツアーの単独参加者には、特に食事の時など、たった一人で黙々と食べている後ろ姿に、孤独の影が見え隠れして、こちらまでが物寂しい気分に引き込まれてしまうものだ。まして高齢の女性ならばなおさらのことだ。
どんな事情があってのことだろうか、それを知りたいのは山々だが、赤の他人が行動を共にするツアー旅行では、身の上を詮索することは御法度なのだ。言葉のやりとりの自然な流れの中で分かったことは、船橋のとある団地にお住まいだということだけだった。
さまざまな顔で埋め尽くされたバスは、初日の宿泊先のホテルに向かった。あの元谷芙美子女史が社長をつとめる「アパホテル那覇」は、いわゆるビジネスホテルという範疇に入るのだろう。ツインベッドが二つ置かれた部屋は、パリのホテルと同じくらいの広さで、格安ツアーだからそれは仕方がないとしても、ビジネスマンたちが残していったさまざまな臭いがこびりついている室内は、用意されていた消臭剤を噴霧してもあまり効果がなかった。
夕食は、バスの中で女性添乗員が教えてくれた食堂でとることにした。添乗さんによれば、沖縄料理の店「みかど」は、夜の八時までに入れば、代金は半額になるということだった。部屋に荷物をおいて一息つけば、もう七時を回っていた。荷物整理は後ですることにして、まずは夕食、ホテルからわずかな距離の所にある食堂「みかど」を目指した。
道に迷うはずもなく、店の前に立ったのは八時前だった。やれやれとドアを開けて店内を見れば、顔・顔・顔…の満席、皆さん注文し終わって、料理が出てくるの待っている風情だった。待つにしても、なかなか席が空きそうにもないのは自明だった。次の日添乗さんが言うことには、
「昨夜は、『みかど』に五組のツアーの人が行ったそうです」
「みかど」はあきらめて、添乗さんが教えてくれたもう一つの店「三笠」に行ってみることにした。半額サービスがないためか、こちらの店には、空席があった。
夫人が注文した「とうふチャンプルー」は500円、当方は550円の「牛肉とナスの味噌煮」を注文した。ともにボリュームがあって、とてもおいしかった。ただ難点は、単品で注文したくても、ライス・味噌汁付きの料金と同じという点だ。言い換えれば、すべてライス・味噌汁付きなのだ。
なお、「みかど」・「三笠」共に24時間営業ということだ。
ツアー参加者は47名、韓国やフィリピンの人たちの顔が見えたり、二十代のギャル系あるいはイケメン系の若い参加者もいて、今までのツアーとは違ってバラエティーに富んだメンバー構成だった。
また、たった一人で参加した高齢の女性もいた。今までも一人で参加した人の姿を見ることはあったが、今回のような高齢者はいなかった。ツアーの単独参加者には、特に食事の時など、たった一人で黙々と食べている後ろ姿に、孤独の影が見え隠れして、こちらまでが物寂しい気分に引き込まれてしまうものだ。まして高齢の女性ならばなおさらのことだ。
どんな事情があってのことだろうか、それを知りたいのは山々だが、赤の他人が行動を共にするツアー旅行では、身の上を詮索することは御法度なのだ。言葉のやりとりの自然な流れの中で分かったことは、船橋のとある団地にお住まいだということだけだった。
さまざまな顔で埋め尽くされたバスは、初日の宿泊先のホテルに向かった。あの元谷芙美子女史が社長をつとめる「アパホテル那覇」は、いわゆるビジネスホテルという範疇に入るのだろう。ツインベッドが二つ置かれた部屋は、パリのホテルと同じくらいの広さで、格安ツアーだからそれは仕方がないとしても、ビジネスマンたちが残していったさまざまな臭いがこびりついている室内は、用意されていた消臭剤を噴霧してもあまり効果がなかった。
夕食は、バスの中で女性添乗員が教えてくれた食堂でとることにした。添乗さんによれば、沖縄料理の店「みかど」は、夜の八時までに入れば、代金は半額になるということだった。部屋に荷物をおいて一息つけば、もう七時を回っていた。荷物整理は後ですることにして、まずは夕食、ホテルからわずかな距離の所にある食堂「みかど」を目指した。
道に迷うはずもなく、店の前に立ったのは八時前だった。やれやれとドアを開けて店内を見れば、顔・顔・顔…の満席、皆さん注文し終わって、料理が出てくるの待っている風情だった。待つにしても、なかなか席が空きそうにもないのは自明だった。次の日添乗さんが言うことには、
「昨夜は、『みかど』に五組のツアーの人が行ったそうです」
「みかど」はあきらめて、添乗さんが教えてくれたもう一つの店「三笠」に行ってみることにした。半額サービスがないためか、こちらの店には、空席があった。
夫人が注文した「とうふチャンプルー」は500円、当方は550円の「牛肉とナスの味噌煮」を注文した。ともにボリュームがあって、とてもおいしかった。ただ難点は、単品で注文したくても、ライス・味噌汁付きの料金と同じという点だ。言い換えれば、すべてライス・味噌汁付きなのだ。
なお、「みかど」・「三笠」共に24時間営業ということだ。
posted by 里実福太朗 at 23:55| フォト紀行
2012年02月28日
沖縄入門ツアー
息子がインフルエンザにかかった時は、同じ屋根の下に暮らしていれば、こちらが感染するのは時間の問題、もしそうなれば沖縄旅行は取りやめとなる、という具合に悲観的にならざるを得なかったが、幸いなことに最悪の事態は回避することができた。
参加したツアーは、「国際通り」から始まり(オプション:知念半島…新原(みーばる)ビーチ、おきなわワールド…玉泉洞)、「首里城公園」、「DFSギャラリア」で終わるという極めてオーソドックスなコースで、沖縄を初めて訪れる人むきの内容だった。ただ、平和記念公園・ひめゆりの塔などの戦跡は、行程に組み込まれていなかった。
佐倉から羽田空港までは、昨年12月の北海道旅行と同様、高速バスを利用した。北海道旅行の際の帰路は、搭乗予定の便が整備不良で欠航となったため、羽田に着いたのが深夜となり、高速バスは利用できなかった。今回は、復路も高速バスを利用することができた。
京成津田沼駅前から羽田空港の第一ターミナルまでの所要時間は、渋滞を避けて一般道を利用した区間があったため、予定時間よりかかって、約70分だった。なお帰路は、順調に走行して、所要時間は50分ほどだった。
家を出た時から、雨模様だった。羽田空港に着いた時も、雨が降っていた。定刻通りに出発したJAL便が、高度を上げていくと、機体は雨雲に包まれて視界がまったくきかなくなった。しかしそこを抜けると、うって変わって雲一つない真っ青な空が広がっていた。そして沖縄旅行中、口惜しいことに再びこのような青空を見ることはなかった。
参加したツアーは、「国際通り」から始まり(オプション:知念半島…新原(みーばる)ビーチ、おきなわワールド…玉泉洞)、「首里城公園」、「DFSギャラリア」で終わるという極めてオーソドックスなコースで、沖縄を初めて訪れる人むきの内容だった。ただ、平和記念公園・ひめゆりの塔などの戦跡は、行程に組み込まれていなかった。
佐倉から羽田空港までは、昨年12月の北海道旅行と同様、高速バスを利用した。北海道旅行の際の帰路は、搭乗予定の便が整備不良で欠航となったため、羽田に着いたのが深夜となり、高速バスは利用できなかった。今回は、復路も高速バスを利用することができた。
京成津田沼駅前から羽田空港の第一ターミナルまでの所要時間は、渋滞を避けて一般道を利用した区間があったため、予定時間よりかかって、約70分だった。なお帰路は、順調に走行して、所要時間は50分ほどだった。
家を出た時から、雨模様だった。羽田空港に着いた時も、雨が降っていた。定刻通りに出発したJAL便が、高度を上げていくと、機体は雨雲に包まれて視界がまったくきかなくなった。しかしそこを抜けると、うって変わって雲一つない真っ青な空が広がっていた。そして沖縄旅行中、口惜しいことに再びこのような青空を見ることはなかった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| フォト紀行
2012年02月23日
今夜は那覇泊
那覇はくもり、気温は20度程度、昼間は22度まで上がったそうだ。関東では、今年の桜は開花が遅くなりそうだと言われているのに、那覇の桜はすでに散ってしまったそうだ。
オプションの夕食は5000円、とてもそんなぜいたくはしていられないので、添乗さんがおしえてくれたホテル近くの食堂に行ってみた。これが当たりでした。やはり地元の人は、安くておいしい店を知っている。
夫人がたのんだ「とうふチャンプルー」は500円、当方がたのんだ「牛肉とナスの味噌煮」は550円、ともにボリュームがあって、とてもおいしかった。
店名は「三笠」、24時間営業です。
posted by 里実福太朗 at 21:34| フォト紀行
羽田空港から南の島へ
posted by 里実福太朗 at 14:06| フォト紀行
2011年02月16日
2010年12月09日
サイパンへの旅(1)

このままではパソコンに取り込んだ写真に写っている場面だけが、サイパン旅行の思い出になってしまいそうだから、今のうちにそういった写真を見返しながら、うたかたの夢のような時間を手元に引き戻しつつ、サイパンの旅行記を少しずつ書きつづっておくことにしよう。
何日か前から朝日新聞の夕刊に、『65年目の「遺言」』という記事が連載されている。団塊の世代はじめとして、戦後生まれの戦争を知らない世代が、人口の大半を占めるようになった今、こういった企画は何度でも繰り返すことが大切であるに違いない。このシリーズが始まってから、そのうちサイパンのことも取り上げられるのだろうと予想していたが、4回目の今日、その通りになった。
記事は、サイパンで米軍と戦いながらもかろうじて一命を取り留め、投降した元陸軍兵長の証言をもとに構成されていた。1944年6月15日に米軍が上陸、7月6日の夜に玉砕覚悟の総攻撃を開始した。砲弾を受けながらも奇跡的に命をとどめ、北へと敗走して行く。北の果ての岬では、追い詰められて逃げ場を失った人々が、米軍の呼びかけを聞き入れず、後に「バンザイクリフと命名された崖の上から身を投げるのを目の当たりに見た。
米軍が上陸したのは、ススペとガラパンのちょうど中間あたりだったそうだ。今回宿泊したススペの「サイパン・グランド・ホテル」前には、サラサラとした白い砂浜が広がっていた。南北にのびる海岸線には同じような砂浜が続いているのだろう。もちろん過酷な戦闘が繰り広げられた65年前にも…紺碧の海を前にしてその砂浜に立つと、いくら想像力をかき立てても、そこに兵士たちの姿を思い浮かべることは難しい。
実は当初、目的地はサイパンではなかった。去年同様ヨーロッパに行きたいと思っていた。しかし諸般の事情により、主として経済的な理由からだけれど、それを断念して格安ツアーでサイパンに行くことにしたのだった。つい最近のこと、ヨーロッパは寒波に襲われて、ドゴール空港は閉鎖されたそうだから、何がさいわいするか分からないものだ。
それはともかくとして、サイパンに行くからには激戦のあった地を訪れ、死者を弔い平和への願いをあらためて祈念しなければならないと思うに至ったのだった。そのようなサイパンの旅から戻って来て、サイパンの戦闘で生き残った人の記事を読むというのも、何かのめぐり合わせのような気もする。
posted by 里実福太朗 at 11:30| フォト紀行
2010年12月05日
2010年12月04日
島内めぐり
午前中は島内めぐりで、かつて激戦が繰り広げられた地を訪ねた。
大戦終盤、サイパンに上陸した圧倒的戦力を有するアメリカ軍に、北へ北へと追いやられ、島の北の果てまで追い詰められた人々は、捕虜となることへの恐れから、ついには美しい海を見下ろす絶壁から身を投げた。天皇陛下万歳と叫びながら飛び降りたからバンザイクリフとよばれるようになったという説があるけれど、実際にはそういうことはなかったらしい。想像するに、飛び降りたときの格好が、万歳する姿に似ていたからなのかもしれない。身を投げた民間人の数は、二千人近くにのぼったらしい。
見学会に参加したのは二十人ほど、若い人の姿が多かった。
大戦終盤、サイパンに上陸した圧倒的戦力を有するアメリカ軍に、北へ北へと追いやられ、島の北の果てまで追い詰められた人々は、捕虜となることへの恐れから、ついには美しい海を見下ろす絶壁から身を投げた。天皇陛下万歳と叫びながら飛び降りたからバンザイクリフとよばれるようになったという説があるけれど、実際にはそういうことはなかったらしい。想像するに、飛び降りたときの格好が、万歳する姿に似ていたからなのかもしれない。身を投げた民間人の数は、二千人近くにのぼったらしい。
見学会に参加したのは二十人ほど、若い人の姿が多かった。
posted by 里実福太朗 at 16:58| フォト紀行
2010年12月03日
2010年11月23日
インテルのCMから里見駅が消えた
近ごろ、再びインテルのテレビCMが流れている。ただ残念なことに新作ではなく、過去のCMを再編集したものだった。さらに残念なことは、「里見駅」の場面がカットされてしまっていることだ。そこで、先月末に里見駅を訪れた際、500枚ほど撮影した写真の一部を載せておくことにする。
その日里見駅には、午後1時ちょっと過ぎに着いた。そして上りに列車に乗ったのは、4時過ぎのことだった。ほぼ3時間ほどを、里見駅およびその周辺で過ごしたことになる。その間、カメラを携えた人が3人ほどやって来ただけで、ほかに訪うものは誰もいなかった。
今ではもう使われていないホームに、ふるびた駅名表示板がそのまま残されていた。
いつやって来たのだろうか、どこからともなく現れた子ネコが数匹、ホームに入り込んでいた。まだ人間に対する恐怖心が芽生えていないのだろうか、近づいても逃げることはない。こちらの存在を気にする様子もなくじゃれ合っている。ともかく格好の被写体が現れたのだから、このチャンスを逃す手はない、これ幸いとモデルをつとめてもらった。
待合室に入っていく子ネコのあとを追っていくと、ベンチの下に置かれていた箱の中に入り、しばらくしてからまた外に出て、箱のまわりをうろついていた。子ネコたちは、どうやら捨て猫のようだった。たぶんその箱に入れられて、運ばれてきたのだろう。駅の待合室に置けば、誰かが拾っていってくれるだろうと思ってのことなのだろうか。かわいそうだとは思うけれど、家に連れて帰るわけにもいかない。
せめて食べる物でも与えておけば、命を長らえることができて、拾ってもらえるチャンスも増えるかもしれない、そう思って駅舎の周辺を見渡してみれば、少し離れたところに何かの店かと思われる構えの家が見つかった。商いをしているかどうかは分からないが、ともかく行ってみることにした。
ガラス戸を開けて中に入れば、陳列棚には種々雑多な日用品・食料品などが並んでいた。奥の方に声をかけると、少し間があってからお年寄りが出てきた。
「駅に子ネコがいるんですよ。エサになるような物、何かないでしょうか」
「かわいそうにねェ、誰かが捨てて行っちまったんだよ」
「やっぱり捨て猫ですか」
「水もなくなってたから、今朝あげといた」
店内を見まわすと、魚肉ソーセージが目に入り、それを買い求めることにした。
「どこから来なさった」
「佐倉から」
「佐倉からねェ、遠いねェ…ニラは食べなさるか」
そんなふうに突然たずねられてとまどったが、
「ええ、嫌いではないですよ」
と答えれば、
「さっき採ってきたニラがあるから、持って行きなさるか。採りたてだからおいしいよ」
と言って、ビニール袋に入っていたニラを、気前よくそのまま丸ごと手渡してくれた。
「フライパンで炒めて、そこにタマゴを落として食べるとおいしいよ」
食べる物を買ってきてくれることを察していたのだろうか、子ネコたちは待ちかねたように甘え声をもらした。魚肉ソーセージを与えると、うなり声をあげながら、ガツガツという音が聞こえてきそうな勢いで一生懸命に食べた。そして食べ終わると、一人前のネコがするように、おコンボで口のまわりをきれいにみがくのだった。
時刻は4時を過ぎ、陽はだいぶ西に傾いてきた。そろそろ4時9分発の列車が到着するはずだ。こころは残るけれど、誰かが拾い育ててくれることを祈りつつ、里見駅をあとにするより仕方がなかった。
その日里見駅には、午後1時ちょっと過ぎに着いた。そして上りに列車に乗ったのは、4時過ぎのことだった。ほぼ3時間ほどを、里見駅およびその周辺で過ごしたことになる。その間、カメラを携えた人が3人ほどやって来ただけで、ほかに訪うものは誰もいなかった。
今ではもう使われていないホームに、ふるびた駅名表示板がそのまま残されていた。
いつやって来たのだろうか、どこからともなく現れた子ネコが数匹、ホームに入り込んでいた。まだ人間に対する恐怖心が芽生えていないのだろうか、近づいても逃げることはない。こちらの存在を気にする様子もなくじゃれ合っている。ともかく格好の被写体が現れたのだから、このチャンスを逃す手はない、これ幸いとモデルをつとめてもらった。
待合室に入っていく子ネコのあとを追っていくと、ベンチの下に置かれていた箱の中に入り、しばらくしてからまた外に出て、箱のまわりをうろついていた。子ネコたちは、どうやら捨て猫のようだった。たぶんその箱に入れられて、運ばれてきたのだろう。駅の待合室に置けば、誰かが拾っていってくれるだろうと思ってのことなのだろうか。かわいそうだとは思うけれど、家に連れて帰るわけにもいかない。
せめて食べる物でも与えておけば、命を長らえることができて、拾ってもらえるチャンスも増えるかもしれない、そう思って駅舎の周辺を見渡してみれば、少し離れたところに何かの店かと思われる構えの家が見つかった。商いをしているかどうかは分からないが、ともかく行ってみることにした。
ガラス戸を開けて中に入れば、陳列棚には種々雑多な日用品・食料品などが並んでいた。奥の方に声をかけると、少し間があってからお年寄りが出てきた。
「駅に子ネコがいるんですよ。エサになるような物、何かないでしょうか」
「かわいそうにねェ、誰かが捨てて行っちまったんだよ」
「やっぱり捨て猫ですか」
「水もなくなってたから、今朝あげといた」
店内を見まわすと、魚肉ソーセージが目に入り、それを買い求めることにした。
「どこから来なさった」
「佐倉から」
「佐倉からねェ、遠いねェ…ニラは食べなさるか」
そんなふうに突然たずねられてとまどったが、
「ええ、嫌いではないですよ」
と答えれば、
「さっき採ってきたニラがあるから、持って行きなさるか。採りたてだからおいしいよ」
と言って、ビニール袋に入っていたニラを、気前よくそのまま丸ごと手渡してくれた。
「フライパンで炒めて、そこにタマゴを落として食べるとおいしいよ」
食べる物を買ってきてくれることを察していたのだろうか、子ネコたちは待ちかねたように甘え声をもらした。魚肉ソーセージを与えると、うなり声をあげながら、ガツガツという音が聞こえてきそうな勢いで一生懸命に食べた。そして食べ終わると、一人前のネコがするように、おコンボで口のまわりをきれいにみがくのだった。
時刻は4時を過ぎ、陽はだいぶ西に傾いてきた。そろそろ4時9分発の列車が到着するはずだ。こころは残るけれど、誰かが拾い育ててくれることを祈りつつ、里見駅をあとにするより仕方がなかった。
posted by 里実福太朗 at 23:30| フォト紀行
2010年11月18日
宮崎から羽田へ
宮崎から夜の便で羽田に戻ってきたのは、もう一昨日のことになってしまった。お会いしたいと思っていた人とは、なんとかお会いできた。しかし、探し求めていた資料に関しては、予想していたことではあったが、やはり不十分な結果となった。ただ、お会いした方々が、あまり詳しいことは知らないんですよと言いながら、いろいろ話題をさがして昔語りをしてくれたことには、感謝しなければならないだろう。

駅前広場には、若山牧水の歌碑があった。牧水は日向市に生まれ、延岡中学校を卒業後、上京して早稲田大学に入学した。

わずか二日の短い滞在だった。再びこの地を訪れることはないかもしれない。延岡発16:08分の「RED EXPRESS」で、宮崎空港に向かった。


往路の飛行時間は1時間50分ほどだったが、復路は1時間20分ほどで、ほぼ30分も短かい飛行時間だった。羽田空港に着陸後、バスで到着ロビーに移動した。

〔夜の羽田空港〕

駅前広場には、若山牧水の歌碑があった。牧水は日向市に生まれ、延岡中学校を卒業後、上京して早稲田大学に入学した。

わずか二日の短い滞在だった。再びこの地を訪れることはないかもしれない。延岡発16:08分の「RED EXPRESS」で、宮崎空港に向かった。


往路の飛行時間は1時間50分ほどだったが、復路は1時間20分ほどで、ほぼ30分も短かい飛行時間だった。羽田空港に着陸後、バスで到着ロビーに移動した。

〔夜の羽田空港〕
posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト紀行
2010年11月16日
2010年11月15日
2010年10月28日
里見駅までの小旅行
インテルのCM「里見シリーズ」(かってにそう名づけてみました)は、二作目が放映されてから続編が出ていない。最初からその予定だったのか、それともストーリーの進展に行き詰まったのか、それはともかくとして、自分の名前と関係のある駅が登場したからには、早い時期に一度は訪ねておきたいと思っていた。
昨日は前夜から冷たい風が吹き(木枯らし一号だったらしい)、朝のうちはその風がまだ残っていたが、久しぶりで晴天に恵まれるという予報を信じて、里見駅を訪ねてみることにした。
時間の制約がのない気楽なちょっとそこまでの旅だから、時刻表などは確認したくはなかったが、里見駅を通る列車が一日に十本だけでは、時刻表で運行時間を確認せざるを得ない。
下り列車時刻表(月曜日〜金曜日)
平成22年3月14日改正
http://www.kominato.co.jp/train/timeteble/weekdown.html
京成津田沼駅 11:09
↓
京成千葉駅
(乗り換え)
千葉駅の駅ビル地下で、昼食の弁当を求む。買い求めた「うなぎひつまぶし重」は550円。
JR千葉駅 11:37
↓
JR五井駅 11:56
JR千葉駅のホームと小湊鉄道五井駅のホームは、陸橋でつながっている。ただし、いったんJRの運賃を精算してから、あらためて小湊鉄道の切符を購入しなければならない。スイカとかパスモを利用している場合は、陸橋の渡り口に出場用の機器が設置されているので、必ずそれにカードをタッチしなければならない。

これでJR路線からは出場したことになるのだが、小湊鉄道の切符売り場が見当たらない。駅員に訊ねると、小湊鉄道のホームの最後部で販売していると言う。列車の中でも販売しているらしいが、発車時間まで余裕があったのでホームで買ってみることにした。

里見駅までの運賃は950円、往復だと1900円で少々高め。フリー切符だと途中下車自由、往復で1700円ということなのでそちらを購入した。

平日の昼間は利用者が少ないのだろう、ホームには「キハ200型」のディゼルカーが一両だけポツンと待っていた。

小湊鉄道五井駅 12:21
↓
里見駅 13:05

里見駅までは40分少々、たった一両だけのディゼルカーは、ガタン・ゴトンと昔懐かしい音を響かせながらゆっくりと走って行く。小型デジカメを動画モードにして、車窓から見える風景を撮っておいた。その動画ファイルから音声だけを抜き出して、mp3ファイルに変換してみた。
〔海士有木から上総三又〕
mp3ファイル(約4分間)

里見駅が見えてきた。

昨日は前夜から冷たい風が吹き(木枯らし一号だったらしい)、朝のうちはその風がまだ残っていたが、久しぶりで晴天に恵まれるという予報を信じて、里見駅を訪ねてみることにした。
時間の制約がのない気楽なちょっとそこまでの旅だから、時刻表などは確認したくはなかったが、里見駅を通る列車が一日に十本だけでは、時刻表で運行時間を確認せざるを得ない。
下り列車時刻表(月曜日〜金曜日)
平成22年3月14日改正
http://www.kominato.co.jp/train/timeteble/weekdown.html
京成津田沼駅 11:09
↓
京成千葉駅
(乗り換え)
千葉駅の駅ビル地下で、昼食の弁当を求む。買い求めた「うなぎひつまぶし重」は550円。
JR千葉駅 11:37
↓
JR五井駅 11:56
JR千葉駅のホームと小湊鉄道五井駅のホームは、陸橋でつながっている。ただし、いったんJRの運賃を精算してから、あらためて小湊鉄道の切符を購入しなければならない。スイカとかパスモを利用している場合は、陸橋の渡り口に出場用の機器が設置されているので、必ずそれにカードをタッチしなければならない。


これでJR路線からは出場したことになるのだが、小湊鉄道の切符売り場が見当たらない。駅員に訊ねると、小湊鉄道のホームの最後部で販売していると言う。列車の中でも販売しているらしいが、発車時間まで余裕があったのでホームで買ってみることにした。


里見駅までの運賃は950円、往復だと1900円で少々高め。フリー切符だと途中下車自由、往復で1700円ということなのでそちらを購入した。

平日の昼間は利用者が少ないのだろう、ホームには「キハ200型」のディゼルカーが一両だけポツンと待っていた。


小湊鉄道五井駅 12:21
↓
里見駅 13:05

里見駅までは40分少々、たった一両だけのディゼルカーは、ガタン・ゴトンと昔懐かしい音を響かせながらゆっくりと走って行く。小型デジカメを動画モードにして、車窓から見える風景を撮っておいた。その動画ファイルから音声だけを抜き出して、mp3ファイルに変換してみた。
〔海士有木から上総三又〕
mp3ファイル(約4分間)


里見駅が見えてきた。


posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト紀行
2010年10月25日
パリの路上トイレ
パリの路上トイレの写真は、撮影することができなかった。それどころではなかったからです。そこで、グーグルマップでパリの街を歩いて探してみたところ、ありました。
大きな地図で見る
ここは、シテ島のノートルダム寺院の近く。トイレボックスの頭には「toilettes(トワレトゥ)」の文字、複数形で使われるその語の意味はもちろんトイレ。その文字の下の「Accès grtuit(アクセ グらチュィ)」は無料ということ。無料であってもこんな場所ではねェ、まァ日本の工事現場などにある簡易トイレよりはましかもしれませんが、とても使おうという気にはなれません。
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ここは、シテ島のノートルダム寺院の近く。トイレボックスの頭には「toilettes(トワレトゥ)」の文字、複数形で使われるその語の意味はもちろんトイレ。その文字の下の「Accès grtuit(アクセ グらチュィ)」は無料ということ。無料であってもこんな場所ではねェ、まァ日本の工事現場などにある簡易トイレよりはましかもしれませんが、とても使おうという気にはなれません。
posted by 里実福太朗 at 21:38| フォト紀行
2010年10月24日
パリのトイレ事情(2)
フランス語の先生も、トイレで困ったらカフェに入るのがいいだろうと言っていた。カフェのトイレの多くは地下にあり、デパートなどは上の階にある。大きなカフェで、トイレの前に人が待ち受けている場合は、チップを差し出せばいいのだが、チップを出さなければならないということでもない。チップは使用前・使用後のどちらでもよく、使用後に知らん顔して通り抜けてしまえば、チップを倹約できる。ただしその場合は、背後から罵詈雑言が追いかけてくることを覚悟しなければならない。
「出すもの出して、こっちには何も出さないのかョ〜」
たとえば、まァこんな具合に。50セント硬貨一枚出せばいいのだから、そんなにケチることもないでしょう。
ノートルダム寺院前のトイレも地下にあった。建物に向かって右側の階段を下りると、体格のいい女性が待ち受けていて利用料を取り立てていた。料金など特に決まっていないから、50セント硬貨を出せばいいのだが、その時はあいにく硬貨は1ユーロしかなかった。心付けという性格のものだから、お釣りをもらうのも変だし、そもそもフランス語でそんなことを言うこともできない。
パリの街中に、トイレがまったくないということではなく、あることはあるのだが、使ってみようという気にはならなかった。歩道に電話ボックスよりやや小さめのものが設置してあって、最初はそれが何であるのか分からなかったが、実はそれが一人用のトイレだったのだ。しかし歩道にポツンと置かれたトイレに、誰が入ってみようと思うだろうか。いったん入って扉を閉めたが最後、二度と外に出てこられないのではないかという恐怖心が襲ってくるのだ。
フランス語の先生が、学生たちを引き連れてパリに行った時のことだそうだ。学生の一人がトイレに行きたくなり、勇気を振り絞って路上のトイレに入ることになった。学生は、心配だから近くで待っていてくださいと言い残し、トイレの中の人となった。しばらくして、トイレの中で騒ぎ出した。
「ドアが開かない、どうしよう」
外からは、もちろん開けることなどできない。途方に暮れて立ち尽くしていると、中の騒ぎがおさまった。もう出てこられないと観念したのだろうと思っていると、思いもかけずドアが開いた。閉じ込められた学生の言によれば、
「トイレの水が流れ終わったら、ドアが開けられるようになりました」
ということだったそうだ。
トイレの水を流さないとドアが開かない、そういうことのようだけれど、自分で確かめたわけではないので、真偽のほどは分からない。まァ、路上の個室トイレは利用しない方がよさそうだ。
「出すもの出して、こっちには何も出さないのかョ〜」
たとえば、まァこんな具合に。50セント硬貨一枚出せばいいのだから、そんなにケチることもないでしょう。

パリの街中に、トイレがまったくないということではなく、あることはあるのだが、使ってみようという気にはならなかった。歩道に電話ボックスよりやや小さめのものが設置してあって、最初はそれが何であるのか分からなかったが、実はそれが一人用のトイレだったのだ。しかし歩道にポツンと置かれたトイレに、誰が入ってみようと思うだろうか。いったん入って扉を閉めたが最後、二度と外に出てこられないのではないかという恐怖心が襲ってくるのだ。
フランス語の先生が、学生たちを引き連れてパリに行った時のことだそうだ。学生の一人がトイレに行きたくなり、勇気を振り絞って路上のトイレに入ることになった。学生は、心配だから近くで待っていてくださいと言い残し、トイレの中の人となった。しばらくして、トイレの中で騒ぎ出した。
「ドアが開かない、どうしよう」
外からは、もちろん開けることなどできない。途方に暮れて立ち尽くしていると、中の騒ぎがおさまった。もう出てこられないと観念したのだろうと思っていると、思いもかけずドアが開いた。閉じ込められた学生の言によれば、
「トイレの水が流れ終わったら、ドアが開けられるようになりました」
ということだったそうだ。
トイレの水を流さないとドアが開かない、そういうことのようだけれど、自分で確かめたわけではないので、真偽のほどは分からない。まァ、路上の個室トイレは利用しない方がよさそうだ。
posted by 里実福太朗 at 19:36| フォト紀行
2010年10月23日
パリのトイレ事情(1)
授業前の雰囲気は、4月から始まった春講座と比べるとかなり変わってきた。やはり6月の最終講座のあとで行われた懇親会で、先生を交えながら雑談したことが、なごやかな雰囲気をもたらす要因となったのだろう。
「この教科書、難しいわね〜」
とある人が本音を漏らせば、あちらこちらから賛同の声があがる。ただ、そういう声を発するのはかなりお歳を召した人たちで、何人かいた若い人たちはどう思っていたのか、それは分からない。
「教科書の隅から隅まで丁寧に扱ってくれるから、途中で余談をはさむ余裕なんかないですね」
「ほんとうに、先生も大変ですよ、最初から最後までしゃべり通しですからね」
そんな声が先生に届くことなどありえないが、ともかく久しぶりで脱線して、パリのトイレ事情について話してくれた。そうそう、そういう話しが聞きたかったのだ。こんなことから話し始めた。
パリの街は、トイレが少ない。トイレを探してあちこち歩き回っても見つからず、結局トイレのことしか頭にないという状態に陥ってしまうこともある。そうなってしまうと、見物どころではないから、パリの街を歩くときは、水分を摂ることはできるだけ控えた方がよい。
去年のヨーロッパ旅行の際、最後に立ち寄ったパリで私たちも同じような体験をした。パリでの自由行動の日、ルーブル美術館の西側に位置するチュイルリー公園の噴水前で、夫人が買い求めたパン、かなりビッグな代物を二人で分け合って食べた。


パリの秋の陽差しをあびながら、心地よいひとときを過ごした後、写真を撮りながら園内をブラブラと歩き回った。


大きな公園だから、トイレの二つや三つはあるにちがいない。尿意を感じ始めても、歩いているうちに見つかるだろうと高をくくっていた。しかし、トイレの表示はなかなか見当たらない。そろそろ本気で探さなければならない状態になってきたとき、コンコルド広場側の出入り口付近に、運良くトイレの表示を見つけた。近づいてみると、そこには「閉鎖」の文字、そしてメトロのトイレを利用するようにと記されていた。
最寄りのメトロ駅はコンコルド駅、階段を駆け下りて地下道を駆け巡りトイレを探すが見当たらない。

夫人が、通りかかったパリジェンヌに英語で訊ねるが要領を得ない。地上に出れば、近くにトイレがあるという説明だったようなので、階段を駆け上がって再び地上に戻った。とうとう必死モードに突入して、懸命に探し回るが見つからない。これはもうダメだと観念して、近くのカフェに飛び込んだ。夫人がきれいな店員さんに事情を話すと、地下にトイレがあることを教えてくれた。
トイレを借りたお礼に、夫人がチップを渡そうとしたが、その金髪美人店員は受け取ろうとしなかった。しかしそのまま店を後にするのも、助けてもらった手前なんだか申し訳ない気がして、コーヒーでも飲んでいくことにした。
そのカフェの名前は控えてこなかったが、ピンク色のテーブルが並ぶしゃれた感じの店だった。グーグルマップで、その時歩いたコースをたどってみたら、「CAFE SANSEVERIA」という店が見つかった。たぶんそこが、トイレを借りたカフェなんだろう。
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「この教科書、難しいわね〜」
とある人が本音を漏らせば、あちらこちらから賛同の声があがる。ただ、そういう声を発するのはかなりお歳を召した人たちで、何人かいた若い人たちはどう思っていたのか、それは分からない。
「教科書の隅から隅まで丁寧に扱ってくれるから、途中で余談をはさむ余裕なんかないですね」
「ほんとうに、先生も大変ですよ、最初から最後までしゃべり通しですからね」
そんな声が先生に届くことなどありえないが、ともかく久しぶりで脱線して、パリのトイレ事情について話してくれた。そうそう、そういう話しが聞きたかったのだ。こんなことから話し始めた。
パリの街は、トイレが少ない。トイレを探してあちこち歩き回っても見つからず、結局トイレのことしか頭にないという状態に陥ってしまうこともある。そうなってしまうと、見物どころではないから、パリの街を歩くときは、水分を摂ることはできるだけ控えた方がよい。
去年のヨーロッパ旅行の際、最後に立ち寄ったパリで私たちも同じような体験をした。パリでの自由行動の日、ルーブル美術館の西側に位置するチュイルリー公園の噴水前で、夫人が買い求めたパン、かなりビッグな代物を二人で分け合って食べた。


パリの秋の陽差しをあびながら、心地よいひとときを過ごした後、写真を撮りながら園内をブラブラと歩き回った。


大きな公園だから、トイレの二つや三つはあるにちがいない。尿意を感じ始めても、歩いているうちに見つかるだろうと高をくくっていた。しかし、トイレの表示はなかなか見当たらない。そろそろ本気で探さなければならない状態になってきたとき、コンコルド広場側の出入り口付近に、運良くトイレの表示を見つけた。近づいてみると、そこには「閉鎖」の文字、そしてメトロのトイレを利用するようにと記されていた。
最寄りのメトロ駅はコンコルド駅、階段を駆け下りて地下道を駆け巡りトイレを探すが見当たらない。

夫人が、通りかかったパリジェンヌに英語で訊ねるが要領を得ない。地上に出れば、近くにトイレがあるという説明だったようなので、階段を駆け上がって再び地上に戻った。とうとう必死モードに突入して、懸命に探し回るが見つからない。これはもうダメだと観念して、近くのカフェに飛び込んだ。夫人がきれいな店員さんに事情を話すと、地下にトイレがあることを教えてくれた。
トイレを借りたお礼に、夫人がチップを渡そうとしたが、その金髪美人店員は受け取ろうとしなかった。しかしそのまま店を後にするのも、助けてもらった手前なんだか申し訳ない気がして、コーヒーでも飲んでいくことにした。
そのカフェの名前は控えてこなかったが、ピンク色のテーブルが並ぶしゃれた感じの店だった。グーグルマップで、その時歩いたコースをたどってみたら、「CAFE SANSEVERIA」という店が見つかった。たぶんそこが、トイレを借りたカフェなんだろう。
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posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト紀行
2010年09月17日
インテルCMのバス停「虎の口」
インテルのCMが新たな展開を見せた。自由大好き人間の女流作家は、連載の原稿を引き受けようという気持ちなどさらさらなく、若い編集者クンは、色香漂う作家の家にとどまって、気が変わるのを待たねばならないハメに陥るのだった。
こんなふうに話が次第に進展していく連作CMは、近頃はやりのようで、その代表格がソフトバンクの白戸家シリーズ、このインテルのCMが柳の下で二匹目のドジョウを捕まえられるかどうかは、<まさに>これからのストーリー展開にかかっていると言えよう。
テレビの前の人の興味をつなぐのは、若い編集者クンの行く末、女流作家の誘惑に負けて、仕事を放り出して一緒に住むことになってしまうのではないかと妄想がかきたてられる。
その編集者クンが、さとみ駅からバスに乗り、降りた所はバス停「虎の口」、そもそも「虎の口」というバス停がなんとも不穏な行く末を予感させる。「虎の口」とは、非常に危険な場所、絶体絶命の危機のこと、つまり若い編集者クンが非常に危険な場所に足を踏み入れたことを暗示しているのだ。いやがうえにも妄想がかき立てられてしまうように仕組まれているのだ。
さて、里見駅を発着するバスの路線に、「虎の口」というバス停はあるのだろうか。調べてみると小湊バスに、上総牛久駅と湯原・里見駅とを結ぶ路線があった。一日に3本しか運行されていない。バス停は以下の通り、その中に「虎の口」というバス停はなかった。
里見駅−加茂中学校−大戸−飯給坂上−東飯給−腰越−加茂農協−里見小学校−斎藤病院−湯原−富山小学校−中の橋−林−吉沢入口−新井−新井橋−神社前−山小川−田尾−高滝入口−下田尾−旭ダイヤモンド前−鶴舞局−鶴舞商業高校前−鶴舞公民館−循環器病センター−鶴舞病院入口−鶴舞小学校−富岡−大蔵屋団地−富士台−江子田−南総中学校−上宿−マーケット前−駅入口−牛久駅
http://www.eris.ais.ne.jp/~kunyu/bus/kominato/ushiku0.htm
こんなふうに話が次第に進展していく連作CMは、近頃はやりのようで、その代表格がソフトバンクの白戸家シリーズ、このインテルのCMが柳の下で二匹目のドジョウを捕まえられるかどうかは、<まさに>これからのストーリー展開にかかっていると言えよう。
テレビの前の人の興味をつなぐのは、若い編集者クンの行く末、女流作家の誘惑に負けて、仕事を放り出して一緒に住むことになってしまうのではないかと妄想がかきたてられる。
その編集者クンが、さとみ駅からバスに乗り、降りた所はバス停「虎の口」、そもそも「虎の口」というバス停がなんとも不穏な行く末を予感させる。「虎の口」とは、非常に危険な場所、絶体絶命の危機のこと、つまり若い編集者クンが非常に危険な場所に足を踏み入れたことを暗示しているのだ。いやがうえにも妄想がかき立てられてしまうように仕組まれているのだ。
さて、里見駅を発着するバスの路線に、「虎の口」というバス停はあるのだろうか。調べてみると小湊バスに、上総牛久駅と湯原・里見駅とを結ぶ路線があった。一日に3本しか運行されていない。バス停は以下の通り、その中に「虎の口」というバス停はなかった。
里見駅−加茂中学校−大戸−飯給坂上−東飯給−腰越−加茂農協−里見小学校−斎藤病院−湯原−富山小学校−中の橋−林−吉沢入口−新井−新井橋−神社前−山小川−田尾−高滝入口−下田尾−旭ダイヤモンド前−鶴舞局−鶴舞商業高校前−鶴舞公民館−循環器病センター−鶴舞病院入口−鶴舞小学校−富岡−大蔵屋団地−富士台−江子田−南総中学校−上宿−マーケット前−駅入口−牛久駅
http://www.eris.ais.ne.jp/~kunyu/bus/kominato/ushiku0.htm
posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト紀行
2010年09月07日
インテルのテレビCM「さとみ」駅
近頃流れているテレビCMに、「さとみ」という駅が登場するものがある。そのことに最初に気づいたのは夫人だった。話しを聞き、実在する駅なのか、漢字ではどう表記するのか、当方も「里実」という名前でブログなどを書いているから、そんなことが気になった。
そのCMは、あのインテルが提供するものだった。連載を取ってこいという上司の命を受けて、若い編集者が、「さとみ」という辺鄙な場所を思わせる駅に降り立つ。訪ねた家の玄関から覗いた顔は、華やかな都会風な顔立ちで、ひなびた土地柄にはどうもふさわしくない。
相手は売れっ子の女流作家のようで、そういう先生はわがままで自由奔放であると相場が決まっているものだが、ご多分に漏れず、連載に縛られるのはイヤだとのたまうのだった。ひなびた土地では、さぞかし不便だろうと思われるが、さにあらずブロードバンドでネットにつながっていれば、世界中とテレビ電話だってできてしまうのだ。
若い編集者が訪ねた時は、ノートパソコンの画面にむかって、フランス語でやり取りしていた。英語ではなくて、なぜフランス語なんだろうか。10月からは、フランス語の後期講座はじまる。勉強不足ゆえの焦る気持ちを抑えなければならなかった。結局CMを最後まで見ても、「さとみ」という駅が実在するかどうかは分からなかった。
当方の「里実」という名前は、実は「里見八犬伝」の「里見」からいただいたものだ。ただ、そのまま「里見」を使ってしまっては里見一族に申し訳ない。字を少しかえることにした。「里実」にするのか、「里美」にするのか、それが問題だった。
身の程をわきまえず大げさに言えば、「実(じつ)」をとるのか、それとも「美」をとるのかということ、さらに大言壮語すれば、写実主義なのか浪漫主義なのかという選択だった。そして最終的には、「里実」に落ち着いたのだった。
さて、CMの「さとみ」が「里見」であれば、その駅は実在する。千葉県の小湊鉄道の「里見駅」である。現在は無人駅となっている。駅舎は木造平屋の古めかしい建物で、都市近郊という立地にもかかわらず、郷愁の念を誘う雰囲気を醸し出していて、映画とかCMの撮影で利用されることもあるそうだ。インテルのCMで使われている「さとみ駅」は、この「里見駅」のことなのかもしれない。
そのCMは、あのインテルが提供するものだった。連載を取ってこいという上司の命を受けて、若い編集者が、「さとみ」という辺鄙な場所を思わせる駅に降り立つ。訪ねた家の玄関から覗いた顔は、華やかな都会風な顔立ちで、ひなびた土地柄にはどうもふさわしくない。
相手は売れっ子の女流作家のようで、そういう先生はわがままで自由奔放であると相場が決まっているものだが、ご多分に漏れず、連載に縛られるのはイヤだとのたまうのだった。ひなびた土地では、さぞかし不便だろうと思われるが、さにあらずブロードバンドでネットにつながっていれば、世界中とテレビ電話だってできてしまうのだ。
若い編集者が訪ねた時は、ノートパソコンの画面にむかって、フランス語でやり取りしていた。英語ではなくて、なぜフランス語なんだろうか。10月からは、フランス語の後期講座はじまる。勉強不足ゆえの焦る気持ちを抑えなければならなかった。結局CMを最後まで見ても、「さとみ」という駅が実在するかどうかは分からなかった。
当方の「里実」という名前は、実は「里見八犬伝」の「里見」からいただいたものだ。ただ、そのまま「里見」を使ってしまっては里見一族に申し訳ない。字を少しかえることにした。「里実」にするのか、「里美」にするのか、それが問題だった。
身の程をわきまえず大げさに言えば、「実(じつ)」をとるのか、それとも「美」をとるのかということ、さらに大言壮語すれば、写実主義なのか浪漫主義なのかという選択だった。そして最終的には、「里実」に落ち着いたのだった。
さて、CMの「さとみ」が「里見」であれば、その駅は実在する。千葉県の小湊鉄道の「里見駅」である。現在は無人駅となっている。駅舎は木造平屋の古めかしい建物で、都市近郊という立地にもかかわらず、郷愁の念を誘う雰囲気を醸し出していて、映画とかCMの撮影で利用されることもあるそうだ。インテルのCMで使われている「さとみ駅」は、この「里見駅」のことなのかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 23:01| フォト紀行