2013年08月18日

切手をはり忘れたハガキ

残暑見舞いのハガキを、切手を貼らずに出してしまった。裏面に写真を印刷するのに適したタイプのハガキで、50円切手を貼らなければならないのだが、それをうっかり忘れてしまったのだ。

たくさん実ったゴーヤーの写真をそのハガキに印刷している時は、切手を貼るのを忘れないようにと思っていたが、そのことを思い出したのは、ポストに投函して家に帰ってからのことだった。猛暑のせいなのか、それともいよいよボケが始まったということなのか。

料金の不足している郵便物はどう扱われるのか、持ち合わせている知識を呼び出してみても、こんなことしか思い浮かばない。
・不足料金は受取人が払う。
・ただし、受け取りを拒否することはできる。

相手の顔を思い浮かべてみれば、受け取りを拒否するとは思われず、結局のところ不足料金を払うことになってしまう可能性が大なのである。そうならば、すぐにでも不足分を送り届けるのが最善の策なのかもしれない。いったんはそう思ったが、すぐ思い直した。そういう場合、郵便局はどのように処理されるのだろうか、念のため調べてみることにした。

〔Q3. 料金不足の手紙はどうなるの?〕
料金不足の郵便物の場合下記の方法がとられます。
1)受取人に届く前に差出人に返送される
2)受取人に届いて不足額を支払う
3)受取人が不在だったり、支払いを拒否したりすると差出人に返送される
(郵便局のウェブサイトより)
http://www.post.japanpost.jp/navi/mame_faq.html

これによれば、『1)受取人に届く前に差出人に返送される』ことがあるということだ。それはどういう場合なのだろうか、その点については詳細が示されていない。他のウェブページを参照すると、次のような具体的な説明が示されていた。以下にポイント要約しておくことにする。

◇投函したポストの場所によって扱い方が異なる
1.差出人の住所が集配郵便局の配達管内である場合
 →差出人に返送される
2.差出人の住所が集配郵便局の配達管内ではない場合
 →受取人に配達される

今回切手なしのハガキを投函したのは、自宅から近い市内のポストだったから「1」の場合になりそうだ。案の定、次の日に以下のような注意書きが貼られて戻ってきた。おかげさまで、相手に不名誉な失態をさらけ出すことは避けることができた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月13日

血圧

身近なところに、毎日血圧を測って記録している人がいる。そういう人たちからお話を伺い、当方も寄る年波で健康に自信がある方ではないから、念のため血圧を測ってみようかと思い立ったのだった。買い求めた血圧計は、血圧計のベストセラーとされている製品で、さる方が使っていたものと同一のものだった。ついでに20秒で測れるという体温計も購入した。

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ヒョッとして血圧が高くて、脳卒中のリスクを抱えているかもしれないというような不安におびえながら暮らしていると、頭の中の血圧計がどんどん高くなって、それがもとでほんとうに高血圧になってしまうかもしれない。心因性高血圧というものもあるそうだから、自分の普段の血圧くらいは分かっていた方が良いに決まっている。というわけで、特に差し迫った事情があるというわけではないが、血圧をはかることを日課としたのだった。

血圧は、一般的に朝高く夜低いという傾向があるということだ。しかし私の場合は、朝が低く夜が高かった。毎日はかっているが、必ずそのような結果となった。

昔から朝が苦手で、朝のうちは頭がボンヤリとして、お昼が近づく頃になってやっと頭が回転し始めるのが常だった。勤めていた時は、そういう自分の傾向が分かっていたので、逆に早起きを心がけていた。エンジンが掛かるのに時間を要するのだから、少なくとも始業時間の3時間以上前には起床するようにしていた。だから勤めを辞めてうれしかったことの一つは、朝早く起きる必要がなくなり、自分の体の自然に逆らう必要がなくなったことだった。

今までは、朝起きるのが苦手だということは、朝のうちは血圧が低いことが理由なのかもしれないと漠然と思っていただけだった。しかし何日か血圧を測ってみて、朝の方が血圧が低いということが実際に数値として示されたのだから、やはり血圧と関連している可能性があるのだろうと理解しておいてもよさそうだ。

〔血圧 正常値・適正値を知りましょう〕



posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月11日

ネコ公園の新顔ミケちゃん

以前から、三毛の子ネコがエサをもらいにやって来るということは耳にしていた。ただ姿を現すのは早朝あるいは深夜ということだから、その姿を目にしたことはなかった。道路を挟んだお山の方からやって来るらしい。

自由人によればまだ警戒心が強く、エサを置いてその場を離れてあげないと食べに来ないということだ。エサをやる時間を工夫してもらって、昼間の時間帯に姿を現すように警戒心をといていくには少し時間が掛かりそうだった。

ある日のこと、自由人が
「来てる」
と言って慌ててエサを取りに行った。その三毛猫は、まだ鉄柵の向こう側にいた。エサを手にした自由人は、柵の手前の少し離れたところに置いて引き上げてきた。しばらくしてミケちゃんは、あたりを注意深くうかがいながらやっと出てきた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月10日

ネコ公園はセミしぐれ

今夏最も暑い日という昨日の予報の通り、都心では最高気温が37.4度を記録した。ネコ公園の猫たちは、今日も少しでも涼しい場所を求め、ダラリと身を横たえて過ごすよりしかたがなかっただろう。

この猛暑を喜んでいるのはゴーヤーだけではなかった。二・三日前、熱気に包まれたネコ公園を訪れた時、暑さを力にしてひときわ大きな声で鳴き続けていたのはセミだった。

陽射しを避けて大樹の陰のベンチで休んでいる時、ふと地面に目を落とすと、そこにはたくさんの小さな穴が口を開けていた。セミの穴である。薄明の頃には、その穴から幼虫たちがぞろぞろと抜け出して、木に登って脱皮する姿がそこかしこに見られることだろう。

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蒸し暑さのせいなのか、それともチクチクと背中に感じる痛みのせいなのか、たぶんその両方のせいなのだろう、テントの中の自由人は、まだ夜の明けきらないうちに目が覚めてしまった。背中の痛みの原因は何なのか。それを確かめようとして、恐る恐る手を背中にまわしてみた。

指先に触れたのは、少し大きな昆虫のようなものだった。毒を持つ虫だと面倒なことになる、慌ててシャツを脱いで薄明かりの中でその正体を見極めてみれば、意外にもセミの幼虫だった。
(オレの背中で脱皮しようとするなんて、間違うのにも程がある)
とつぶやきながら、シャツから引きはがして近くの木にとまらせてあげたのだった。

以上のことは、自由人から聞いた本当の話である。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

元気なのはゴーヤーだけ

この猛暑をものともせず、ますます勢いを増しているのはゴーヤーである。一時期その勢いが止まったかに見えたことがあったが、この暑さのおかげなのかまた勢いが戻ってきて、現在大小とり混ぜて30個ほどが網棚にぶら下がっている。

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今までで最大と思われるゴーヤー、長さ約30p、周囲約21p。

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posted by 里実福太朗 at 00:30| 里ふくろうの日乗

2013年08月09日

炎暑のネコ公園

池を渡る風が吹いてくれれば暑さも幾分かは和らぐのだが、その風がまったく吹いてくれない。池のほとりでは体温に近い空気がよどみ、身にまとわりつく熱気を払いのけようと扇子であおいでも、熱風がわき起こるだけでかえって暑さが増してくる始末なのである。

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涼しい場所を捜し出すことが得意な猫も、こうなってはお手上げで、人の目もはばからず無防備な姿をさらしていた。

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大食漢のネコも、好物の小魚の入ったエサを前にしても食欲がわかないのだろう、うつろな目を向けるだけだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月06日

朝から雷鳴が轟いた。今、各地で被害を出している局地的集中豪雨に見舞われそうな大気の状態だったが、さいわいなことにしばらくすると雷鳴は遠のいていった。

午後には再び雲行きが怪しくなり、千葉県北西部には大雨警報が出された。買い物から戻る頃には雨もひとしきり降ったが、豪雨とはならなかった。

雨があがった東の空に、虹がかかった。明日からは再び猛暑が復活するそうだ。

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posted by 里実福太朗 at 22:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月05日

権藤はなよの詩碑巡り

権藤はなよ作「たなばたさま」の詩碑は、JR穴山駅の近く「穴山さくら公園」内に建つ。駅の南側に変電所があり、それをはさんでさらに南側にその公園がある。平成19年度に完成した新しい公園で、公園の北側には駐車場もある。この「穴山さくら公園」で詩碑の除幕式が行われたのは、七月七日の七夕の日のことだった。

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権藤はなよの詩碑は、この「たなばたさま」の碑のほかに8基、合計9基が穴山の里に点在している。今回の旅行では、そのうちの5基を確認することができた。以下、詩碑の写真とそこに刻まれている詩を載せておく。

1.穴山さくら公園
〔たなばたさま〕

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ささの葉 さらさら
のきばに ゆれる
お星さま きらきら
きんぎん すなご

ごしきの たんざく
わたしが かいた
お星さま きらきら
そらから みてる

2.夏目公民館
〔ないしょ ないしょ〕

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山葡萄 みつけた
まだまだ 青い
葉っぱのかげに かくせ
ないしょ ないしょ ないしょよ

山ぐみ 見つけた
まだまだかたい
葉っぱをかぶせて かくせ
ないしょ ないしょ ないしょよ

だれにも 言うな
小鳥も食むな
葉っぱのかげで あかく
こっそり こっそり こっそりよ

3.石水公民館
〔雲雀の子〕

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ちらほら麦の穂 出る頃は
雲雀の子供が 巣立ちます
ピーチク ピーチク ピーチクピ
朝もはよから 唄げいこ

そよそよ麦の穂 そよぐころ
雲雀の子供が 巣立ちます
一とび 二とび ぴょんととび
日暮れ頃まで とびげいこ

4.いとーくる伊藤窪公民館
〔願かけた〕

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お宮の石段 百五段
蟻の子供が 上ってく
切られたおひげの 伸びる様に
願かけませうと 言っていく

二十五段で 日が暮れて
五十五段 月が出た
月の明かりで 蟻の子は
宮に参って 願かけた

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5.穴山公民館(ふれあいホール)
〔雪こんこお馬〕

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雪こんこ降るに お馬が行くよ
お馬の鞍にゃ 雪こんこ白い

雪こんこお馬 冷たくないの
お馬の首も 雪こんこ白い

雪こんこお馬 どこまで行くの
お馬よ急げ 雪こんこ積もる

この詩碑が建つ穴山公民館(ふれあいホール)は、旧穴山小学校の跡地にある。穴山小学校は平成2年3月に廃校となり、116年の歴史に幕を閉じて校舎は取り壊された。今も残されているのは、校門の門柱・屋内運動場・グランドなどである。

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〔穴山小学校閉校之碑〕
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穴山の里の高台にあり、グランドからは甲斐の山々を見晴らすことができる。権藤はなよは、この穴山小学校を卒業したのち、東京に出て行くまでの一時期ここで教鞭をとった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月03日

「まるげ(○げ)」にまつわる不思議な偶然

告別式に参列したあと、アユミギャラリーへと向かった。折しも、企画写真展「蒼」が初日を迎え、故鈴木喜一さんの写真も展示されている。夕刻に予定されているオープニングパーティの時間までにはかなり間があるが、告別式の人波の中に身を置いて高ぶった心を鎮めるには、そのくらいの時間は必要だった。

ギャラリーに一歩足を踏み入れた時、思わず「げ」っと叫びそうになってしまった。居合わせた写真塾のYさんが身につけていたTシャツの背中に、大きく「まるげ」と記されていたからだ。先日訪ねた穴山でも、それと同じように「げ」を丸で囲んだ奇妙なマークに出くわしたことがあったのだ。

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うり二つの「○げ」を目にして、穴山で見たものと何らかの共通点があるかもしれない、と期待を込めてYさんに尋ねてみた。
「そのTシャツは、ひょっとして山梨の穴山のお店で買いました?」
唐突にそんなことを訊かれて、首をかしげているYさんの返事を聞く前に、あまりにも不思議な偶然に気が急いて、穴山で見た「○げ」について話し始めてしまったのだった。

墓参のために山梨に行った際、穴山まで足をのばして権藤はなよの詩碑を訪ねた。甲府と同じく穴山も暑かった。詩碑は全部で九基建立されたそうだが、同行の人の健康状態も気がかりなので、今回は半分程度を見て回ることにした。

「穴山さんぽ道−権藤はなよの世界−詩碑を訪ねて」という小冊子に載っていた地図を詩碑巡りの参考にした。その地図には、権藤(旧姓伊藤)はなよの生家あとも記されていた。同行の姉が、戦時中に穴山に疎開した際、その家にお世話になったということだった。

実は、以前穴山を訪ねた際にも探してみたことはあったが、藁葺き屋根だったその家は見つけ出せなかった。長い時を経て、取り壊されてしまったのかもしれなかった。しかしその地図には、はっきりと「権藤はなよ生家あと」と記されているのだから、何らかの痕跡が残されているのではないだろうか、あるいはすべてが失われてしまったとしても、記念碑のようなものが設けられているかもしれない、と手がかりを求めて穴山の里の曲がりくねった細い道を、NBOXは進んで行ったのだった。

「穴山さんぽ道」という地図はかなり大雑把で、そのせいだとは言いたくはないが、やはり道に迷って水田地帯へと出てしまった。青々と育ったイネを見ながら農道を走り、やっと里への上り口を見つけ急な坂道を上るあたりから、こんな標識が見え始めた。
「○げまで**m」
一体全体どんな意味を持つ標識なのか、ただ丸の中に「げ」があるだけでは皆目見当がつかない。

坂を登り切ったところにも同じような標識が立っていて、距離は短くなっていた。地図上の「権藤はなよ生家あと」が近づくにつれて、「○げ」までの距離数が次第に減ってゆく。そして最後に行き着いたのは、「○げ」用の駐車スペースだった。そこは「cafe ○げ」用として設けられていたのだった。

人騒がせな「○げ」は、どうやらカフェのようだった。それにしても、どうしてこんな人跡まれな山里にカフェなどがあるのだろうか。そんな疑問がわいてきたが、そこから少し歩いてみれば、たしかに古民家を改装したような造りの「○げ」があった。昼時を過ぎて空腹を覚えてきたところで、これ幸いと引き戸を開けようと試みたが鍵が掛かっていた。

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同行の義兄が、その家は屋根の形から想像すれば元は藁葺きだったかもしれない、場所的にも権藤はなよの生家あとの可能性が高いと言う。たしかに屋根の傾斜などを見れば、その説にはかなりの信憑性があると思われた。ただ残念なことに、そのことを示す説明板などは見あたらなかった。

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長々と話してしまったが、要はYさんが着用している「○げ」のTシャツは穴山のカフェ「○げ」と関係があるのではないかということを確かめたかったのだ。しかし、その答えは意外なものだった。
「この『○げ』は、サンダル屋さんですよ」
ネットで調べてみたところ、確かに「○げ」というサンダル屋さんがあった。葉山のビーチサンダル専門店だった。

〔げんべい〕
http://www.genbei.com/index.html

なお穴山の「○げ」は、ネットで調べてみると、隠れ家的カフェレストランとしていくつかの紹介記事が見つかった。それらによると、欧風料理を提供する店のようだった。営業時間は、18時から深夜2時までとなっていた。

〔食べログ〕
http://tabelog.com/yamanashi/A1902/A190202/19000153/

〔山梨珈琲日記〕
http://46324885.at.webry.info/200809/article_4.html

〔楽天ブログ〕
http://plaza.rakuten.co.jp/tokiwin/diary/200901220000/
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年07月31日

鈴木喜一さんを悼む

あまりにも突然の訃報だった。八ヶ岳から帰って来た次の日の午後、アユミギャラリーから一通のメールが届いた。タイトルは「訃報ご連絡」となっていた。どなたかがお亡くなりになったことを知らせるメールであることは分かるが、どなたなのだろうか、そんな疑問を抱きながら開いてみると、以下のような文言が記されていた。

鈴木喜一、病気療養中の処 7月30日午前3時48分永眠致しました(享年64歳)

鈴木喜一さんのブログ「大地の家」が、7月4日から更新されていないことが気がかりではあったが、いずれ新しい記事が載るものと思っていただけに、その知らせはすんなりと受け入れがたいものだった。

知らせていただいた内容に誤りなどあるはずはないのに、それを受け入れるためには少し時間が必要だった。アユミギャラリーのウェブサイトにアクセスして、トップページにリンクされていた「訃報について 2013.07.30」という記事を読み、次にブログ「大地の家」の「訃報ご連絡」に目を通し、さらにfacebookの[訃報告知]を確かめて、記載されている内容がすべて同じであることをが確認できれば、もはや事実として受け入れるより仕方がなかった。

〔訃報ご連絡〕
http://daichinoie.blog6.fc2.com/
大地の家 2013.07.30

写真塾に入ったことが鈴木さんとの接点を持つきっかけとなった。4年ほど前のことだ。以後、写真塾の講座の際、講座修了後の居酒屋での歓談の際などでご一緒したことがあった。そんな時、喜一さんは風のように現れ、ケータイ(後にスマートフォン)で写真を何枚か撮り、現れた時と同じく風のように去って行くことが多かった。そして、会がはねてから家に帰り「大地の家」を見ると、その時の記事が写真とともにアップされているのだった。

多才な人だった。ブログ「大地の家」には、こんな自己紹介が載っている。
『建築家×旅人×画家×文筆家×大学教師×神楽坂建築塾×ギャラリー運営他さまざまな活動を同時多発的に展開する。静岡出身の東京人、というか神楽坂を拠点とする地球人。』

怠惰な生活を送っている人間からみれば、そんなに仕事を抱えて大丈夫なのだろうか、と余計な心配をしてしまうほどの仕事量、何かに衝き動かされていなければ到底こなすことのできないほどの仕事量だったと想像する。

先日行われた写真塾の6月講座「お茶の水から神田須田町へ」が終わってから、「みますや」で歓談している時、例によってヒョッコリ喜一さんが姿を現した。その時は、こんな言葉を残してすぐ帰ってしまった。
「病気なんですよ」
最初は冗談めかして言ったのかと思ったが、様子を見て冗談ではないことが分かった。いつもの喜一さんではなかった。その時が、生前の喜一さんにお目にかかった最後となってしまった。

〔神楽坂写真塾の6月☆お茶ノ水から神田須田町へ〕
http://daichinoie.blog6.fc2.com/blog-entry-8102.html

今まで積み重ねてきた仕事が熟していくはずのその矢先で燃え尽きてしまった。私より二つ年下、早すぎる死と言わざるを得ない。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗