2013年07月26日

墓参

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やはり甲府は暑かった。
17回忌。
posted by 里実福太朗 at 08:36| 里ふくろうの日乗

2013年07月23日

巣立ちの日

待ちに待った巣立ちの日を迎えた。樹胴から出てきたヒナは三羽だったが、一羽は不幸にも落下してしまった。体がまだ小さく飛翔力が十分ではなかったのだろう。外の世界に出た刹那、大きな試練に襲われたヒナの運命はどうなったのであろうか。夕闇せまる頃にドラマチックな結末が待ち受けていたのだが、今はそれを綴るいとまがない。後日報告させていただくことになるだろう。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年07月21日

巣立ちはまだ

7月20日
午後に写真塾の集まりがあったが、午前中の早い時間に行ってみた。カメラは昨日よりさらに台数を増やしていた。

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五時を少し過ぎたところで、講座を抜け出し帰路についた。日没前にアオバヅクのいる公園に着いて巣立ちを見るためには、それがぎりぎりの時間だった。しかし予想ははずれて、巣立ちはまだだった。

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7月21日
公園の駐車場に着いたのは朝の6時頃、すでに半分ほどは車で埋まっていた。ざっと数えてその数30台以上だった。樹胴のある木の下には、カメラが昨日よりさらにたくさん並んでいた。公園はかなり広いから、この場所を特定するのは難しいはずなのだが、口コミでいっきに広がってしまったようだ。

今日の巣立ちは、なし。


posted by 里実福太朗 at 22:48| 里ふくろうの日乗

2013年07月19日

巣立ちは近い

去年アオバヅクが巣立った日が近づいてきた。今年もその日と同時期に巣立ちの日を迎えるなら、それはもう間近に迫っている。

2013/07/17
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2013/07/18
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2013/07/19
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アオバヅクの写真は、同じようなものになってしまうので、集まって来ている人たちを撮ってみた。みな太くて長いレンズを、アオバズクに向けている。大砲のようなレンズを何本も向けられていては、アオバヅクも心穏やかではないかもしれない。

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夕暮れ時にもう一度行ってみた。夫人の友人によると、その頃になるといよいよ活動を始めて、飛ぶところを見ることができるということだった。鳥影がシルエットに見え始める頃、羽根をのばして準備運動を始めた。そして時を経ずして勢いよく飛び立った。フクロウは音もなく滑空するはずだが、アオバズクは羽音を残しながら、樹胴のある大樹の周囲を気持ちよさそうに飛び回った。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年07月16日

巣立ちはまだか

アオバヅクのメスが外に出ていることを確認したのは8日(月)のことだった。その後何回か見に行ったが、残念ながらヒナが顔を出してくれることはなかった。

7月13日
母鳥がかなり低いところに下りてきた。
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7月14日
母鳥、眠そう。
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7月15日
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posted by 里実福太朗 at 23:05| 里ふくろうの日乗

2013年07月15日

庭のコクワガタ

「コクワガタがいた」
と言いながら、夫人が手のひらにのっている小さな黒い虫をさし出した。ただコクワガタと一目で分かる大アゴがなく、何の変哲のない虫の一種のようでに見えた。
「コクワかな〜?」
受け取ってしばらく見回しているうちに、大アゴはないが小さな頑丈そうなアゴはあることに気づいた。コクワガタのメスであることには間違いなかった。

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子どもが小さい時に、近くの雑木林で見つけたコクワガタを庭に離したことはあったが、そんなことはとうの昔のことだ。その時のコクワガタの子孫が庭で生息し続けていたのだろうか。それとも、わずかながら残っているどこかの林から飛来したのだろうか。庭の木の根元あたりに離してあげたら、チョコチョコと走って小さな樹穴の中に身を隠した。
posted by 里実福太朗 at 22:53| 里ふくろうの日乗

2013年07月13日

暑くてたまらニャン

イヤー暑い。暑い日が続く。山梨県の甲州市では、昨日までの四日連続で39度を超えたそうだ。「心頭滅却」しても暑いものは暑いのだ、信玄さん。

ネコ公園では、自由ネコたちも、少しでも涼しいところをさがして昼寝三昧。

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『夜も暑くて眠れん。睡眠不足であくびばかり』
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『壁際に寝返りうって、お腹をピタッとつければ、冷たくて気持ちがいいね』
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posted by 里実福太朗 at 22:46| 里ふくろうの日乗

2013年07月09日

ヒナ誕生

アオバズクのことが気になって、昨日の夕方、城址公園に久しぶりで行ってみた。いつもの枝のいつもの場所に、あいかわらず一羽のアオバズクがとまっていた。まだ何の変化も起こっていないようだった。

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しかし、もしやと思ってさらに上の方を見上げてみると、予感は的中して別のアオバズクがとまっていた。母鳥が樹胴から出てきたのだ。ヒナがかえると母鳥は巣から出てくるから、そのことはヒナが誕生したことを意味しているのだ。

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昨年庭木に営巣したヒヨドリとキジバトの場合はヒナが誕生してから短期間で巣立っていったが、アオバズクの場合はもう少し日数が掛かるそうだ。前回公園に来たのは10日ほど前で、その時母鳥はまだ外に出ていなかった。その後、いつ頃ヒナがかえったのだろうか。それが分かれば巣立ちの日のだいたいの見当をつけられるのだが、それがはっきりしない。

今朝は早起きして、また公園に行ってみた。親鳥は昨日と同じ場所にとまっていた。やはりそろそろ巣立ちの季節だろうと見当をつけてやって来たのだろう、何人かのカメラマンが太くて長い望遠レンズを三脚に載せ、アオバズクに向けて構えていた。小一時間ほど変化が起こるのを待っていたが、ヒナは姿を見せてくれることはなかった。
 
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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

ゴーヤー初収穫

今期初めて収穫したゴーヤーは、大が2本・中が1本・小が一本、合計4本だった。大きさに違いがあるのは、生育状態に差があるためではなく、複数の品種のゴーヤーを植えたためである。

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いちばん小さいのは昨年植えた品種と同じゴーヤーで、長さは13pほど、いちばん長いのは約29pだった。
posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2013年07月07日

「たなばたさま」の真実

近所のスーパーに行くと、店内に「たなばたさま」の曲が流れていた。今日は7月7日、今年もまた七夕の節句が巡ってきたのだ。曲を聞いているうちに、おのずとその歌詞を口ずさんでいた。そして同時に、あの作詞者にまつわるなやましい問題が思い出されてきたのだ。

グーグルなどで検索してみればすぐ分かることであるが、「たなばたさま」の作詞者の名前は以下のような三通りの形のいずれかで記載されていることが多い。

1.作詞 権藤はなよ
2.作詞 権藤はなよ 補作詞 林柳波
3.作詞 権藤はなよ/林柳波

1の場合は、作詞者は権藤はなよのみ、2の場合は権藤はなよが作詞してそれに林柳波が手を加えて完成させたことになり、3の場合は二人の共作となる。

一般的に多く見られるのは2の場合で、 ウィキペディアの林柳波の項でもそれを採用している。この記事は、 2004年11月20日に再投稿されている。その後加筆・修正が行われ、 2012年12月8日を最後として更新されていない。以下に最新版から引用する部分は、2004年11月20日の版と比べてみても重要な点での異同はないので、ある程度の信憑性はあると考えられる。

林柳波〕…ウィキペディア

『当時文部省唱歌は作者名を公表しないことになっていた。柳波は、野口雨情の弟子、権藤花代の童謡詩『タナバタサマ』が選考に漏れたのを補作して委員会で再議し、採用された。』

これだけを読めば、そういうこともあったのかなと思うだけで特に疑問を感じることはないかもしれないが、次に続く部分を読むといったいこれはどういうことなのかと疑問が頭をもたげ始めてくる。

『これは後に、第二次世界大戦後、作者名が公表されるに及んで、林柳波が盗作疑惑を受ける原因となった。』

冒頭の『これ』という指示語は何をさしているのだろうか。第一文だけを指していると受け取ることもできるが、二つの文全体を受けていると理解するのが自然である。要点をまとめれば以下のようになろう。

戦後、林柳波が盗作疑惑を受けた原因は以下の二点である。
(1)第二次世界大戦以前は、作者名は非公表であった。
(2)柳波が補作して採用された。

しかし、『補作』しただけで果たして盗作疑惑という騒動が起こるものだろうか。その間のいきさつが具体的に示されていれば納得がいくのだが、その点については一言も触れていない。そういう中途半端な書き方が、かえってこの投稿者は何か重大な事実を隠そうとしているのではないだろうかという疑念を引き起こすのだ。

林柳波が盗作疑惑を受けたことについて調べておきたいと思いつつも、なかなかその機会を持てずに今年もまた七夕の日がやって来てしまったのだった。

「たなばたさま」に関してネット上に何か新しい事実が載っていないものかと調べてみたところ、ウィキペディアの「権藤はなよ」の項が大幅に加筆・修正されていて、そこに新たな事実が記載されていた。また、「なっとく童謡・唱歌」というウェブサイトに載っている画像が、その事実の信憑性を補強することにもになっていた。

ウィキペディアに権藤はなよの記事が初めて投稿されたのは、2010年10月5日のことだった。何回かの加筆・修正が行われた後、 2011年9月14日以降は一人の投稿者が何度も何度も版を重ねて現在に至っている。その執念たるや、すさまじいものを感じる。

権藤花代〕…ウィキペディア

最新版の投稿日は2013年7月1日である。そこに記載されていることを、年代を追ってまとめてみよう。

昭和16年…作者名は不記載
『「うたのほん 下」(国民学校2年生用)に掲載された』

昭和26年〜昭和31年
『春陽堂教育出版は歌詞の「ごしきのたんざく」の部分だけを「きれいないろがみ」と書き直し、林柳波作として「たなばたさま」を五年間にわたって掲載し続けた(教科書番号109、113)』

昭和28年
『教育芸術社は、作曲者である下総皖一校閲の『一ねんせいのおんがく』(教科書番号131、136)を発行。歌詞は、国民学校教科書初掲出の「ごしきのたんざく」で、作者は、<うた ごんどうはなよ・きょく しもふさかんいち>と記載されている。』

昭和36年…権藤はなよの没年
『少年少女歌唱曲全集『日本唱歌集(4)』ポプラ社 に収録されている「たなばたさま」は、権藤花代作詞、下総皖一作曲となっており、奥付にはJASRACの印がある。』

昭和42年
『日本音楽著作権協会は〜(中略)〜『日本音楽著作権協会管理唱歌作品集』45頁に「たなばたさま」の作詞者名を「権藤花代・林柳波」と連名で記載した。』

以上の中で最も重要な点は、昭和16年「うたのほん」に採用された「たなばたさま」の一部分「ごしきのたんざく」だけを「きれいないろがみ」と変更して、さらに作者名を「林柳波」としている点だ。

これが林柳波によって補作された形なのだろうか。仮にそうであったとしても、原詩の作者はどこへいってしまったのだろう。「作詞 権藤はなよ 補作詞 林柳波」とはなっていないのである。作者は、林柳波だた一人なのである。

この盗作疑惑に関わる決定的な証拠が、前掲の「なっとく童謡・唱歌」というサイトに載っている。「たなばたさま」が林柳波作として載っている教科書の画像だ。それを見ると、たしかに『林 柳波 作詞』と記されていて、歌詞の二番の冒頭は『きれいな いろがみ』となっている。

『文部省検定済教科書『あたらしいおんがく一ねん』(春陽堂発行)昭和25年発行(教科書研究センター附属教育図書館蔵書。2013年3月27日調査)。』
…なっとく童謡・唱歌

権藤(旧姓伊藤)はなよは、山梨県の穴山村(現在は韮崎市穴山町)の出身である。かねてよりその穴山で、地元住民によって「たなばたさま」の詩碑が建てられ、七夕の日に除幕式行われる聞いていた。今日がその七夕の日、天の川の彼方からその様子を眺めているのであろうか。

〔童謡たなばたさま「発祥の地」PR 穴山住民、権藤花代の功績を碑文に〕
…山梨日日新聞 2013年06月19日(水)

なお権藤はなよの遺骨は、夫・権藤円立の出身地である九州延岡の「光勝寺」の納骨堂に納められている。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗